
パラドックスインタラクティブの最新作『Europa Universalis V』(以下、『EU5』)。
発売以来、その圧倒的なディテールと膨大なシステムは多くの歴史ストラテジーファンを驚かせました。
『Victoria』シリーズを思わせるリアルタイムのPOP(人口)と市場経済、『Crusader Kings』のような王朝と人物、そして『Hearts of Iron』レベルの細かい戦術・補給システム。
まさにパラドックスの全タイトルを統合した「究極のグランド・ストラテジー」に見えます。

てんこ盛りなのニャ。
しかし、前作『Europa Universalis IV』(以下、『EU4』)を長年愛好してきた筆者のようなプレイヤーほど、プレイを進める中でひとつの強い違和感にぶち当たるのです。
「面白くないわけではない。だが、自分がEUに求めていたのはこれなのだろうか?」
なぜ『EU5』はこれほどまでにプレイが重く、時に「疲労感(残業感)」が勝ってしまうのか。
今回はゲームデザインにおける「抽象化(引き算)」の重要性について、筆者の持論を語っていきたいと思います。
『EU5』の問題点
「完璧な住み分け」と「全部盛り」の不協和音
これまでのパラドックス作品は、プレイヤーの欲求に合わせて得意分野が美しく住み分けられていました。
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『Victoria』シリーズ: 複雑な市場、POP、産業構造に没頭する「内政・経済シミュレーター」
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『Crusader Kings』シリーズ: 血統、人間関係、身内のドロドロしたドラマを楽しむ「君主人生RPG」
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『Hearts of Iron』シリーズ: 前線、補給、師団運用のミクロ操作に特化した「WW2軍事ストラテジー」
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『Europa Universalis』シリーズ: シンプルな内政をベースに、外交と戦争で世界を動かす「大戦略シミュレーター」
プレイヤーは「今日は経済をこねくり回したいからVic」「大外交で世界地図を塗り替えたいからEU」と、その日の気分や好みのビルドに合わせて作品を選んでいたわけです。
しかし『EU5』は、この全ての要素を約500年間という超長期のタイムラインの上に「全部盛り」にしてしまいました。
その結果、本来『EU』が持っていた「ダイナミックに歴史のIFを疾走する爽快感」が、膨大な作業(マイクロマネジメント)の中に埋もれてしまったのです。

寿司の上にハンバーグと生クリームとキムチを全部乗せたような重さなのニャ。一つひとつは美味しくても、全部同時に食べさせられたら胃もたれして倒れちゃうのニャ。
「1日1計算」の重みと、ゲームデザインにおける「引き算の美学」
『EU4』の最大の魅力は、圧倒的な「軽快なテンポ感」にありました。
『EU4』では日単位に時間が進みます。
日々の計算(ティック)は最小限に抑えられ、税収や外交ポイント、不満度の更新などは「毎月1日(月跨ぎ)」に一括処理されていました。
だからこそ時間がカチカチと心地よく進み、一晩で100年単位の歴史を動かすことができたのです。
一方の『EU5』では、1時間単位に時間が進みます。
1日が進むごとに各州のPOP消費、市場のリアルタイム価格変動、道路網を通じた統制力(Control)の減衰といった膨大なデータ処理が毎回走ります。
プレイヤーの脳(認知コスト)も同様です。全体の外交盤面や大戦略を考えたいのに、足元の道路建設、市場の価格調整、各階級(Estate)からの図々しい特権要求の処理に追われ続けます。
大戦略を楽しみたいプレイヤーにとって、これはもはや「プレイ」ではなく「作業」になってしまうのです。
「実際の歴史や経済は複雑なのだから、全てを再現するのが正しい」というアプローチは、シミュレーターとしての誠実さかもしれません。
しかし、優れたゲームデザインには必ず「何を捨てるか(引き算の美学)」が存在します。
『EU4』の「君主ポイント」や「開発度(Dev)」という概念は、内政をあえて大雑把な数値に凝縮して削ぎ落とした(引き算した)からこそ、プレイヤーは内政の手間から解放され、「外交・戦争・大国間のパワーバランス」という本質的な試行錯誤に100%集中できたのです。

画面のあちこちから「これやって」「あれ調整して」って怒涛の通知が来るのは、まるで休日に職場から着信が鳴り止まない状態ニャ。
「足し算」はシミュレーターの誠実、「引き算」はゲームデザインの美学
「実際の歴史や経済は複雑なのだから、全てを再現するのが正しい」というアプローチは、シミュレーターとしての開発者の誠実さかもしれません。
しかし、任天堂をはじめとする優れたゲームデザイナーたちが口を揃えるように、「要素をただ盛り込むこと(足し算)」は最も陥りやすいデザインの罠です。
ボードゲームでも、いかに抽象化するかのゲームデザインが重要になってきます。
ゲームにおけるリアルさとは、現実に存在するデータを全て処理させることではない。「プレイヤーに心地よい錯覚と手応えを与えるための演出」であるはず。
EU4の「君主ポイント」や「開発度(Dev)」という概念は、発表当時は「抽象的すぎる」と批判されることもありました。
しかし、内政をあえて大雑把な数知に凝縮して削ぎ落とした(引き算した)からこそ、プレイヤーは内政の手間から解放され、「外交・戦争・大国間のパワーバランス」というEU最大の醍醐味に100%集中できました。
そして時間の流れも速いので、繰り返し遊ぶことができるわけです。
EU5の場合、完走している人がほとんどいません。長すぎて、最初の100~200年で力尽きる人がほとんどです。残りのデータは無駄になっているわけです。

長さを売りにしているのに、それが完走できないのは大問題なのニャ。
名作と呼ばれるゲームには、必ず「何を捨てるか」という選択と集中(引き算の美学)が存在します。
『EU5』はそのあたりのゲームデザインセンスに素人さがあるのですね。「全部入れればいい」は、プロの考えとは思えません。このあたりが洗練されていないのです。ゲームが持つ役割を理解していないのですね。
まとめ:僕たちが『EU』という愛おしい世界線に求めたいもの
『EU5』が野心的な大作であり、技術的な挑戦であることは疑いようがありません。
しかし、すべての要素を足し算した結果、『Victoria』ほどの経済の快感もなく、『Crusader Kings』ほどの濃密な人間ドラマもなく、ただただ時間が重く過ぎていく「器用貧乏」な側面が浮き彫りになってしまいました。
それでこのゲームを、1800年代までプレイした人はほとんどいないでしょう。このあたりでゲームデザインが狂っているわけです。

よほどの暇人じゃないと、そこまでたどり着けないのニャ。
筆者たちが『EU』というシリーズに求めているのは、一本一本の道路の舗装計画を立てる細かすぎる作業ではありません。
それがあってもいいのですが、それならインフラをゲームデザインの中心に添えて、あとはそぎ落とすぐらいしないといけないとは思います。
ヨーロッパのうごめく外交世界で、同盟国を裏切り、包囲網をかい潜り、サクサクと進む時間の中で「歴史を自らの手で書き換えるダイナミズム」そのものなのです。
コーエーテクモゲームスの歴史シミュレーションゲームは、いろいろと批判はありますが、必ずテーマを決めてそこに集中できるようにしています。
たとえば『三國志14』だと陣取り合戦、『信長の野望・天道』だと「道」をつくることがテーマになっています。これがプロのデザインであって、何でもかんでも入れてはいけないのですね。
『EU5』は、面白くないわけでは無いのですが、もはやVictoriaのような内政ゲームになってしまっているので、ゲームの役割を果たせていないわけです。
500年もある無駄に長いゲームスパンも、そこまでプレイできる人はほとんどいない。500年プレイさせたければ、少なくとも時間の進みは日単位にして、細かい部分をそぎ落とす必要があります。
それができていないのに500年も用意する必要があったのかという問題もあります。最初の100~200年でほとんどの人はやめています。
多くのプレイヤーにとって、後半はすべて無駄なデータになっているのですね。
交易も、結局は自動化任せにするんだったら、本当に必要あるのかという話ですね。それを入れたことで無駄に重くなっているだけなわけです。
ちなみにSteamでは、最近の評価だけで見ると「圧倒的に不評」になっています。時間がかかりすぎることで、リプレイ性の低さが問題にはなりますね。

長くて、何度もやる気力がないのニャ。EUはもっとダイナミックなほうがいいのニャ。
