『三國志14』武将能力:文欽の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その52】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第52回目は、文鴦の父である魏の武将・文欽(ぶんきん)についてお届けします。前回の文鴦は以下のリンクから。
人物について
文欽、字は仲若(ちゅうじゃく)。譙国・譙県の人です。子には前回登場した文鴦・文虎がいます。
文欽は曹真の子・曹爽とは同郷の仲でした。
魏が曹芳の代になると、曹爽(そうそう)がその後見人となって権力を握るようになります。
日本語だと読み方おなじですしね。
文欽は気性が荒いうえに残忍で、目上の者に対しても礼節をわきまえない人物でした。ゆえに評判も悪く、弾劾されたこともありました。
しかし曹爽が実権を握ったのちは、同郷のよしみで文欽に対する苦情を不問にし、しかも昇進までさせます。
文欽はますます増長して粗暴になりました。
やがて司馬懿によるクーデターが起こり、曹爽が誅殺されます。
こうなると、文欽は立場的に危うくなります。
司馬懿の死後、司馬師があとを継いだときにそれが顕著になりました。
文欽は戦功を立てたときには、捕虜や戦利品を水増しして報告し、恩賞を多くもらうということをしていました。
しかしこれらの報告偽造は、司馬師には通用しませんでした。
このことから文欽は、司馬師に恨みを持つようになります。
文欽は毌丘倹(かんきゅうけん)とともに太后の詔勅を偽造します。そして司馬師の罪状を書き連ね、各地に檄をとばして反乱を起こしました。
司馬師はみずから出兵してこの反乱を鎮圧。毌丘倹は民に殺されてしまいました。
もとより将兵たちは、文欽に脅迫されて従っていただけでした。敗色が濃くなると、司馬師に降伏してしまいました。
文欽はどうにもならず、息子の文鴦とともに呉へ亡命したのは前回述べたとおりです。
呉に移住した文欽ですが、そこでもたびたび揉めごとを起こし、多くの呉の将たちから嫌われていました。
ここも前回の話ですが、司馬昭の代になると、魏の諸葛誕が寿春で反乱を起こします。呉がこれに応じ、文欽親子を援軍として送りました。
文欽は魏兵を蹴散らして諸葛誕のいる寿春城に入り、ともに籠城戦をしました。性格はアレですが、武将としての才は高かったのです。
司馬昭は寿春城を包囲しました。その包囲は堅く、呉からの連絡も途絶えてしまいます。
文欽は何度も出陣しましたが、そのたびに返り討ちにあいました。
やがて兵糧が不足してきました。
そこで文欽は諸葛誕にいいます。
「城内にいる北方の者を追い出せ。そうすれば食糧の節約になる」
しかし諸葛誕は承知しません。もとより二人は、魏にいたころから仲が悪かったのです。
ある日、文欽が諸葛誕にまた相談しに行ったときのことです。諸葛誕は猜疑心にかられ、文欽を殺してしまいました。このあと、文鴦・文虎の兄弟が魏に降伏したのは前回述べたとおりです。
今回はそんな文欽の能力を見ていきましょう。
基本ステータスについて
統率:74
武力:83
知力:43
政治:33
魅力:20
主義:我道
政策:鶴翼強化(Lv4)(鶴翼陣形の効果が上昇)
親愛武将:尹大目、曹爽、孫峻
嫌悪武将:王凌、朱異、諸葛誕
ただ統率・武力はそこそこ高く、戦闘ユニットとしては悪くありませんね。
王凌は魏の将で、文欽を弾劾した人です。妹が郭淮の妻ですね。
朱異は呉の将です。文欽が亡命の5年前に、偽の降伏状を呉に出したことがありました。朱異はそれを見破ったのです。そのこともあってか、亡命後は険悪な関係になっていたようです。
個性について
改修:所属都市に所在していると、耐久の回復量が増加。
粉砕:障害物を攻撃したさい、耐久を大きく減らす。
功名:命令設定で、追撃「不可」、事後命令「退却」が選択不可。
癇癪:自ユニット、太守として所在する拠点が「挑発」にかかっている期間を延長。
高慢:一定兵数以下で自ユニットの全能力が低下。
兵数低下で全能力が下がる「高慢」があるのはきついですね。
新規個性としては「粉砕」がアップデートで加えられています。
陣形と戦法
魚鱗、鶴翼
あまり選択肢もありませんし、好きなほうでといったところでしょう。
奮戦:ダメージ。
大喝:敵の防御ダウン。
罵声:敵の士気+攻軍ダウン。対拠点可。
「奮戦」でも使ってダメージをあたえておけばいいんじゃないでしょうか。
総評
文欽は、戦闘ユニットとしてはそこそこのステータスを持っています。
ただ「高慢」があるため、兵力が低下したときには叩き潰される可能性が高くなるでしょう。
仲間のユニットともに行動していくのがいいかと思います。
次回は諸葛誕を予定しています。内容がつながっているほうがわかりやすいですしね。
↓次回出来ました。