『三國志14』武将能力:司馬師の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その50】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第50回目は、司馬昭の兄である司馬師(しばし)についてお届けします。前回の司馬昭は以下のリンクから。
人物について
司馬師、字は子元(しげん)。司馬懿の長男で、司馬昭の兄。母は張春華です。
容姿が立派で、若いころから評判の高い人物でした。曹操の養子である何晏からは、「天下で事を成せるのは司馬子元だけ」と称賛されていました。
ただ何晏自身は、手鏡で自分の顔に見とれるほどのナルシストで、自分のことは「神に等しい」と思っていました。
前回も述べたように、司馬懿のクーデターにより、司馬一族は魏の権力を掌握します。
このときのクーデターで功績があったのが司馬師です。彼は3千人の私兵で手際よく洛陽宮城を占拠し、クーデターを成功に導きました。
司馬懿が亡くなると、司馬師があとを継ぎ、撫軍大将軍として朝廷と軍の権力を手中に収めます。
天子(皇帝)の曹芳は、司馬師の専横が我慢できず、司馬師を廃することを企てました。しかし計画は漏れてしまい、曹芳以外の関係者は殺されてしまいます。
曹芳はその後廃帝となり、「斉王」に格下げされました。そのあとに立てられた天子が、前回登場した曹髦です。
晋の時代まで生き残っていました。晋のころはさらに格下げされて「邵陵公」になりましたが。
曹芳が廃されたことで、毌丘倹と文欽が6万の兵を率いて寿春で反乱を起こします。
司馬師はみずから10万の兵を率いて、反乱鎮圧にあたりました。
文欽の息子の文鴦(ぶんおう)は気鋭の武将として有名で、「三国演義」では趙雲に匹敵するほどの猛将として描かれています。
ちなみに文鴦の「鴦」は幼名で、じっさいの名前は文俶(文淑)といいます。文鴦という呼び方のほうが有名になっていますね。
文欽と文鴦は夜襲をおこないました。しかし連携が取れず、撤退してしまいます。彼らは呉に亡命しました。
文鴦は「最後に敵にひと泡吹かせてやろう」と、十数騎で司馬師を急襲します。
司馬師は目に悪性の瘤があり、医者に切り取らせて処置していました。しかし文欽の急襲によって傷が裂けて目玉が飛び出してしまい、病状が悪化。やがて許昌で亡くなってしまいます。そのあとを司馬昭が継いだのは、前回述べたとおりです。
今回はそんな司馬師の能力について見ていきましょう。
基本ステータスについて
統率:79
武力:64
知力:88
政治:84
魅力:81
主義:覇道
政策:軍制改革(Lv4)(部隊、都市の士気上限が上昇)
父親:司馬懿
母親:張春華
親愛武将:司馬懿、司馬昭、徐質、陳泰
あまり大きな違いはありませんね。
武力は、1のころは88ありましたが、『三國志2』になったとたんに66まで落ちてしまいました。
知力も『三國志4』~『三國志6』までは90台でしたが、それ以降はずっと80台です。
武将としては、司馬昭とおなじ軍師タイプです。
個性について
機略:特定範囲内の敵ユニットの攻軍が低下(艦船、兵器以外)。
使役:府の上にいると、自ユニットの全能力が上昇。
規律:自ユニット、太守として所在する拠点が「混乱」にならない。
動員:官職に加えて、指揮兵士が1000増加。
攻城をダウンさせる「詭計」が、攻軍をダウンさせる「機略」になっていますね。
また挑発にならない「沈着」が、混乱にならない「規律」になっています。
「動員」は、司馬懿がクーデターを起こしたときに、私兵で協力したことに由来しているものと思われます。
陣形と戦法
魚鱗、鶴翼、衝車
「衝車」持ちなので、司馬昭とおなじく都市攻めのときに参戦させるのがいいでしょう。
沈毅大略:味方の攻軍アップ+異常状態解消。対拠点可。
牽制:敵の攻城+破城ダウン。
業火:発火。対拠点可。
衝車:耐久ダメージ。対拠点可。
「衝車」を使って都市攻めをサポートするのがいいかもしれませんね。
総評
司馬師は、司馬昭とそれほど変わらないステータスの持ち主です。
「機略」で敵の攻軍を落とせるので、「使役」「沈毅大略」と組み合わせれば野戦でもそこそこ戦えるとは思います。
都市攻めは味方に守ってもらいつつ、「衝車」を使うのがいいでしょう。
次回は文鴦を予定しています。
↓次回出来ました。