『三國志14』武将能力:劉虞の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その109】|三国志14

2020年6月4日三国志武将能力評価三国志, 三國志, 三國志14武将評価シリーズ

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『三國志14』三国志武将評価シリーズの第109回目は、袁紹らに天子(皇帝)に擁立されるのを拒否した幽州牧・劉虞(りゅうぐ)についてお届けします。前回の韓馥は以下のリンクから。

 

人物について

劉虞、字は伯安(はくあん)。東海郡・郯県の人です。

東海恭王(光武帝の長男・劉彊)の末裔でしたが、当時の天子(皇帝)とは遠縁だったため、郯県に出仕して戸曹の役人になりました。それから孝簾によって推挙され、朝廷の郎となります。

漢王朝の血筋なのニャ。

劉虞は幽州の牧に昇進します。それから甘陵の相に転任し、その徳によって東部の異民族を感化しました。

のちに病気にかかってしまい、辞任して故郷に戻ります。

劉虞は故郷でも、謙虚で質素な生活をしました。郷里の人びとと苦楽をともにし、威張ることはいっさいありませんでした。

絵に描いたような聖人君子ニャ。

郷里の人びとは揉めごとがあると、役所へは行かず、劉虞のもとへ行ってその判断を仰ぎました。劉虞は事件を筋道正しく裁判したので、誰もがその結果にしたがい、不平をいう者はいませんでした。

またあるとき、牛を無くした者がいました。その者は、劉虞の牛が「自分の牛とそっくりだ」と主張しました。すると劉虞は、自分の牛をゆずったのです。

のちに牛が見つかると、持ち主は劉虞に謝罪し、牛を返したといいます。

まさに郷里の名士なのニャ。しかも威張らないのニャ。

以前の任地である甘陵が乱れると、朝廷は劉虞をまた甘陵の相に任じました。甘陵はふたたびよく治まったので、朝廷は劉虞を中央に召して尚書令・光禄勲に任命します。

また皇族の中でもっとも礼儀をわきまえた人物だったので、宗正に任じられました。

とにかく評判のいい人物ニャ。

『英雄記』にこんな話もあります。劉虞が博平県の令であったとき、公平な政治をおこなったことで、その領内から盗賊はいなくなり、災害も発生しなくなりました。

当時、他県ではイナゴの害が発生していたのですが、博平県の県境まで飛んできても、県内に入ってくることはなかったといいます。

古代中国では、徳のない者が国を治めると天災が起こるといわれていましたからね。徳のある者はその逆です。

どんだけニャ。劉虞はイナゴまでをも感化してしまう徳の持ち主なのニャ。

幽州で中山太守の張純と、烏桓の部族長・丘力居(きゅうりききょ)が手を結んで反乱を起こすと、公孫瓚がその鎮圧にあたりました。しかし何年かかっても無理でした。

そこで朝廷は劉虞を幽州の牧にし、公孫瓚の代わりに反乱鎮圧にあたらせます。

すると劉虞の徳を知っていた丘力居は、さっそくに恭順の使者を送ります。

面子を潰された公孫瓚は腹を立て、使者を殺して和議を邪魔しようとしました。しかし丘力居は別の道から使者を送り、劉虞と連絡をつけることができたのです。

こうして反乱は鎮圧されましたが、以来、公孫瓚は劉虞を恨むようになりました。

逆恨みニャ。公孫瓚のクズっぷりは、公孫瓚の回でも述べられてるニャ。

ここから前回の話になり、袁紹韓馥は、董卓に対抗するため、世間で評判の良い劉虞を新たな天子(皇帝)につけようとしました。董卓が献帝を擁しているのに対抗するためですね。

袁紹や韓馥、公孫瓚が登場したとたんに、話が俗っぽくなるニャ。

しかし劉虞は袁紹からの使者に対し、

「よくもそんなことを言えるものだ! わたしは国からご恩を受けている。州郡の忠義の士とともに、董卓のもとにいる幼少の天子をお迎えしたいと願っているのだ。なのに反乱の誘いとは! 忠臣をどう心得ているのだ!」

と叱りつけて返しました。

けっきょく袁紹らは、劉虞を天子にすることはできませんでした。それどころか劉虞は、天子への忠誠を示すために、献帝のもとへ使者を送ったのです。

当時、董卓は都を長安に移していました。しかし献帝は長安から脱出したかっため、使者が来たときに、劉虞に洛陽帰還の手伝いをしてもらおうと考えました。

劉虞の子の劉和が朝廷にいたことから、献帝は劉和をこっそり劉虞のもとへ遣わせました。しかし道中、袁術に呼び止められてしまいます。

ここからは公孫瓚の回で詳しく書いていますので、そちらを参照してください。

公孫瓚が袁紹に敗れたのち、薊に撤退し、劉虞の城の東南に小城を建て、そこを拠点としました。

さらには、劉虞が異民族たちを懐柔するために恩賞などをあたえていましたが、公孫瓚は異民族たちを襲って、劉虞があたえた恩賞を略奪する始末。劉虞が文句をいいにいっても、仮病を使って会おうとしません。

迷惑すぎるニャ。

やがて我慢も限界にきて、劉虞は異民族らの協力も得て、公孫瓚討伐に乗り出します。

しかし劉虞は城内の民を気遣って「狙いは公孫瓚のみ。放火はするな」として戦ったことと、公孫瓚は気にせず火計によって反撃してきたことによって、敗れて生け捕りにされてしまいました。

公孫瓚は劉虞を市場でさらし、

「おまえが天子になるべき者なら、天が雨を降らせて助けるはずだ」

といいました。時は夏の真っ盛り。雨が降らなかったので、劉虞は処刑されてしまいました。

善い人すぎて、邪悪には勝てなかったのニャ。

こののち、息子の劉和が袁紹とともに出陣し、父のかたきをとったのは公孫瓚の回で述べたとおりです。

これが唯一の救いニャ。邪悪は滅びたのニャ。

今回はそんな劉虞の能力を見ていきましょう。

 

基本ステータスについて

統率:55
武力:33
知力:69
政治:76
魅力:92
主義:礼教
政策:地域振興(Lv5)(地域担当官による開発の上昇量が増加)
親愛武将:田疇
嫌悪武将:公孫瓚

魅力92ニャ。主人公レベルの魅力ニャ。さすがイナゴをも追い返すほどの徳ニャ。

曹操や劉備など、三国志の主要登場人物以外でこれだけ高い魅力の持ち主はめずらしいですね。

ちなみに初登場は『三國志6』からで、そのときは魅力93ありました。以降も90台を保っています。

登場当時から評価されてた人物なのニャ。

魅力以外の能力については平凡といったところですね。

 

個性について

調達:輸送部隊を率いたさい、輸送できる量が増加。

名声:地域担当官に任命すると土地占領が拡大、捕虜になったときの身代金が増加。

振興:地域担当官に任命すると開発が上昇しやすい。

親烏:所属都市に所在していると、烏桓が出現しない。計略「埋伏の毒」で烏桓が出現する。

仁政:太守として所在する拠点に所属する武将の忠誠の自然減少を防ぐ。

内政系の個性が目白押しニャ。

仁政」はアップデートver1.0.4で追加されたものですね。配信直後の『三國志14』は、武将の忠誠度の減りも速かったのですが、それらもアップデートで緩和されました。

内政系の個性がそろっていますので、内政を担当させるのがいいとは思います。

 

陣形と戦法

陣形

鶴翼、長蛇、井闌

統率も知力も微妙なところなので、「鶴翼」「井闌」を使い分ける形になるでしょう。

戦法

鼓舞:味方の士気アップ。対拠点可。

治療:負傷兵回復。対拠点可。

井闌:ダメージ。対拠点可。

僧侶系ニャ。

井闌」持ちなので、都市攻めをバックアップするのにはいいかと思います。

 

総評

劉虞は魅力が92と高く、君主としては申し分ありません。

ただそれ以外の能力は微妙なところです。

「調達」「名声」「振興」「仁政」といった内政系の個性を備えているので、内政で役立てていきましょう。「親烏」もあるので、烏桓が発生する地域に配置するのもいいでしょう。

また「井闌」もあるので、都市攻めのサポートにはいいかと思います。

仁徳の政治をおこなうのニャ。

次回は朱然を予定しています。

↓次回出来ました。