『三國志14』武将能力:朱然の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その110】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第110回目は、江陵を守り抜いた呉の最後の名臣・朱然(しゅぜん)についてお届けします。前回の劉虞は以下のリンクから。
人物について
朱然、字は義封(ぎほう)。揚州・丹陽郡の人です。
朱治の姉の子で、もともとは施然といいました。
朱治は子供がいなかったため、施然が13歳になったときに、自分の跡継ぎにしたと考えました。
そこで上司の孫策に相談したところ、孫策は丹陽郡の役所に命じて羊と酒を用意させ、施然を丁重に迎え入れました。
また施然が呉へやってきたときには、孫策は養子縁組を厚く祝ったのです。
どちらかといえば、朱治に気をつかったのでしょう。
こうして施然は朱治の子となり、朱の姓を授かって「朱然」となりました。
朱然は孫権とともに学問を学び、二人の間には恩義の関係が結ばれていました。
孫策が亡くなり、孫権があとを継ぐことになると、朱然は会稽郡・余姚県の県令となりました。このとき朱然は19歳です。
のちに山陰県の県令に昇進し、折衝校尉に任じられ、5つの県を取り締まることになりました。
いっしょに勉強していただけあって、孫権は朱然の才能を高く評価していました。丹陽郡を分けて臨川郡を作り、その太守に朱然を任じたのです。さらには二千の兵をもあたえました。
当時、山越が反乱を起こしていたので、朱然はその討伐をおこない、ひと月あまりで平定してしまいました。
赤壁の戦いにおいては、朱然は大塢と三関屯の防衛をおこない、偏将軍に任じられます。そののち、周泰の配下に組み込まれたことで不満を持ったのは、周泰の回でも述べたとおりです。
建安24年(219年)の関羽討伐戦においては、呂蒙の別動隊として潘璋とともに臨沮に進軍し、関羽を捕らえるという大功を果たしました。これによって昭武将軍に昇進し、西安郷侯に封じられます。
そののち、呂蒙が危篤に陥りました。孫権が後継者を聞いたところ、呂蒙は、
「朱然は決断力・実行力ともにすぐれております。彼に任せるべきでしょう」
といいました。
呂蒙の死後、朱然は江陵の守りを任されることになります。
劉備が関羽の復讐のために攻め込んできたときには、朱然は陸遜にしたがって5000の兵を率いてこれに当たりました。
朱然は別動隊として劉備の先鋒を討ち破り、さらにはその退路を遮断。これによって劉備は敗走しました。
朱然の名をもっとも高めたのは、やはり江陵の攻防戦ですね。
魏の曹真・夏侯尚・張郃らが攻め込んできて、江陵の城を包囲したときに、朱然は外との連絡が途絶えてしまいました。
しかも城内の兵士たちは浮腫の病にかかり、戦える者はわずか5000人だけです。
しかしこの状況でも朱然は恐れずに兵卒らをはげまし、さらには隙を見て敵の2つの陣営を攻め破りました。
江陵県の県令・姚泰(ようたい)が城の北門を守っていたのですが、自軍の兵も兵糧も少ないのを見て、敵と内通しようとしました。しかし実行される前に発覚し、朱然は姚泰を処刑しました。
城の包囲は6カ月にもおよびましたが、魏軍はどうしても陥とすことができず、退却してしまいました。
このことによって朱然の名は他国にまで鳴り響きます。またこの功績によって当陽侯に封じられました。
その後も孫権の出陣にしたがい、さまざまな功績を打ち立てています。
朱然は身長七尺(約170センチ)に満たない将でしたが、さっぱりとした性格で、質素な生活をしていました。
慎み深く職務をおこない、つねに陣頭に立ち、どんな場合でも落ち着てい対処できる点については、まねできる者はいませんでした。
平穏なときにあっても、朝夕ごとに太鼓を鳴らし、兵士たちに装備をつけさせて整列させました。このようなことから、なにをするにしても功績を挙げられたのです。
諸葛瑾の息子の諸葛融や、歩隲の息子の歩協らが父親のあとを継ぎ始めると、孫権は朱然に彼らを束ねさせました。諸葛一族については以下の記事を参照してください。
陸遜が亡くなると、呉の功臣で生き残っているのは朱然だけとなりました。孫権の朱然に対する礼遇は、およぶ者がいなかったといいます。
やがて朱然は病床につき、そのまま2年が経過しました。
孫権は朱然を心配し、昼は食事を減らし、夜は眠れずといった様子でした。宮殿からは薬や食事を届ける者が、ひっきりになしに遣わされたといいます。
さらには、病状を報告する使者が来るたびに、孫権はみずから会って様子をたずねました。使者を迎え入れるときには酒や食べ物をあたえ、送り出すときには反物を授けたといいます。
赤烏12年(249年)、朱然は病から回復せず、亡くなりました。68歳だったといいます。
孫権は喪服を付け、心のこもった哭礼をおこないました。朱然のあとは、子の朱績が継ぐことになりました。
今回はそんな朱然の能力を見ていきましょう。
基本ステータスについて
統率:79
武力:69
知力:71
政治:60
魅力:77
主義:王道
政策:火計研究(Lv3)(火計の効果が上昇、Lvで火罠解放(5:火船、10:猛火罠))
父親:朱治
親愛武将:孫権、陸遜
たしかに活躍のわりには高くないですね。統率はもっと高くてもいい気がします。
ちなみに「三國志」シリーズでも武力・統率は60~80台を行き来していて、あまり安定していませんね。
総合能力的にはバランスが取れていて、悪くはないかと思います。
個性について
胆力:一定兵数以下で、自ユニットの全能力が上昇。
火攻:自ユニット、太守としての所在する都市への火の被害が減少。「火計」の成功確率が上昇。
慎重:敵勢力の罠から受ける被害が減少。
堅牢:所属都市に所在していると、都市が攻められたさい、反撃ダメージが上昇。
寡欲:自身の俸禄が減少。
「胆力」や「慎重」、火の被害を減少させる「火攻」もあり、守備系の個性がそろっています。江陵攻防戦が評価されていますね。
陣形と戦法
雁行、方円、井闌
文官っぽい陣形持ちですね。統率・武力は悪くないので、野戦もこなしていけるでしょう。
火矢:発火。対拠点可。
鉄壁:味方の防御力アップ。
足止:「足止」付与。
駆逐:ダメージ。
強襲:ダメージ+「混乱」付与。
「駆逐」「強襲」は水上戦用戦法なので、水上でも戦っていけます。「火矢」もあるので、都市攻めに使っていくといいでしょう。
総評
朱然はバランスのとれたステータスを持つ武将です。
突出した能力はありませんが、戦闘・内政と全般的に活躍していけるでしょう。
また「胆力」「慎重」「火攻」「堅牢」といった守備に向いた個性や、「鉄壁」「足止」といった戦法もあり、守りに優れた武将といえます。
次回は朱然の養父、朱治を予定しています。【追記】次回とアップデート1.0.7記事出来ました。