『三國志14』武将能力:朱治の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その111】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第111回目は、朱然の養父である呉の武将・朱治(しゅち)についてお届けします。前回の朱然は以下のリンクから。
人物について
朱治、字は君理(くんり)。丹陽郡・故鄣県の人です。
はじめは県の下役人になり、孝簾で推挙され、州の役所で従事になりました。
その後は孫堅の配下となり、戦場を駆けめぐることになります。長沙・零陵・桂陽の反乱者を平定するなどして功績をあげました。
反董卓連合のときも参戦し、陽人の戦いで董卓軍を破り、洛陽入りします。その後も徐州の牧・陶謙のもとにおもむいて、黄巾賊討伐に協力しました。
孫堅が亡くなったのち、朱治は孫策を補佐し、ともに袁術のもとに身を寄せます。
しかし袁術のおこないが非道であったことから、時が来ると「袁術のもとを離れ、江東の地を平定するよう」孫策にすすめました。
こうして孫策は、独立のための一歩を踏み出したのです。
孫策の江東平定においては、朱治は曲阿にいた孫策の家族や孫権らの保護につとめました。
また朱治には子がなかったことから、姉の子の施然を養子として、朱の姓をあたえました。
孫権が15歳になったとき、朱治は彼を孝簾に推挙しました。このことが恩となり、孫権は朱治に頭が上がらなくなります。
孫策が亡くなり、孫権がそのあとを継ぐと、朱治は張昭とともに孫権を補佐します。朱治は呉郡太守に任命され、山越の反乱平定や黄巾賊の残党討伐で功績を立てました。
孫権は呉王になったのちも、朱治がやってくるとみずから出迎え、笏をとって拝礼を交わしました。また朱治のために宴会を開き、下賜品を用意するなど、特別に厚く待遇したといいます。
孝簾の件だけでなく、孫権は朱治が国のために尽力していることを高く評価していました。
また朱治は質素な性格で、富貴な地位であっても、車や服装は仕事でどうしても必要なものだけを用いました。
孫権は、朱治の仕事を軽減するため、朱治の統治する呉郡地域の文書処理を他の者に任せました。朱治は4つの県の租税だけを取り扱えばいいことになったのです。
すると、皇族の子弟や、呉郡で力のあった四姓(顧・陸・朱・張)が呉郡の役所につぎつぎと出仕し、その数は数千人にのぼりました。
朱治が孫権のもとに使者を出すときには、派遣される役人が数百にもなっていました。
朱治は呉郡の太守を31年に渡ってつとめ、69歳で亡くなりました。
朱治には朱才・朱紀・朱緯・朱万歳という実の子ができていたので、そのあとは朱才が継いだといいます。
今回はそんな朱治の能力について見ていきましょう。
基本ステータスについて
統率:70
武力:56
知力:72
政治:73
魅力:76
主義:礼教
政策:地域巡回(Lv3)(地域担当官による治安の上昇量が増加)
親愛武将:孫策、呂範
養子の朱然と似たパラメータですが、政治が朱然(政治60)に比べてだいぶ高いですね。呉郡を統治していたことが評価されたのでしょう。
逆に統率・武力は朱然(統率79、武力69)のほうが高く設定されています。
これは『三国演義』の設定ですね。袁術の配下だった呂範が、孫策と朱治が独立の話をしているのを聞いて、仲間に加わっています。
個性について
慰撫:所属都市に所在していると、賊が出現しなくなる。
親越:所属都市に所在していると山越が出現しない。計略「埋伏の毒」で山越が出現する。
寡欲:自身の俸禄が減少。
これでメリットがあるのは君主だけですけどね。
それと「慰撫」「親越」を持っているので、賊や山越の出現を防ぐことができます。これらが多発する地域に配置しておきたいところです。
陣形と戦法
雁行、鶴翼
戦闘ユニットとしてはそこそこ戦えますので、どちらでもいいでしょう。
連弩:ダメージ+「足止」付与。対拠点可。
激励:味方の士気+攻軍アップ。対拠点可。
鼓舞:味方の士気アップ。対拠点可。
「激励」「鼓舞」と、たしかにやたらと応援してくれますね。選択肢もありませんし、うまく活用していきましょう。
総評
朱治は養子の朱然同様、バランスの取れた武将です。
武力以外は70以上なので、戦闘や政治にと、使い勝手のいい武将といえます。
とくに「慰撫」「親越」があるので、賊や山越が出現する地域に配置して反乱をおさえこみましょう。
次回は呉の重臣・張昭を予定しています。
↓次回と「孫子の兵法書」第8回出来ました。