『三國志14』武将能力:張昭の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その112】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第112回目は、孫呉三代を支えた重臣・張昭(ちょうしょう)についてお届けします。前回の朱治は以下のリンクから。
人物について
張昭、字は子布(しふ)。徐州・彭城国の人です。「三国演義」では「江東の二張」の一人とされています(もう一人は張紘)。
若いころから学問を好み、隷書に巧みでした。
漢字の書体ですね。楷書とか草書とかのたぐいです。隷書は後漢時代にとくに流行した書体ですね。
ただ漢王朝が衰退して以降は、あまり使われなくなりました。ちなみに筆者の祖父(台湾人)は書道を教えていて、隷書もよく使っています。
張昭は白侯子安から『左氏春秋(春秋左氏伝)』を学び、ほかにも多くの書物を読んでいました。趙昱や王朗とともに高い名声を得て、親しく交わりを結んでいました。
普通に面白いですしね。機会があったら、現在進行中の「わかりやすい全訳『孫子の兵法書』」のように、「わかりやすい全訳『春秋左氏伝』」でもやろうかなと思います。
張昭は20歳のころに孝簾に推挙されましたが、都には行きませんでした。
また徐州の刺史・陶謙が張昭を茂才(秀才)に推挙しましたが、それにも応じません。
陶謙は「自分を軽んじているのではないか」と腹を立て、張昭を投獄してしまいます。
友人の趙昱は張昭を助けるために奔走し、やっとのことで釈放されました。
戦乱の世になると、徐州に住む名士たちは難を避けるために、揚州の地へと移住する者が多くなりました。諸葛瑾もそうでしたね。
このときの人たちが、孫呉を支える人材となっていきます。張昭もこの移住組でした。
孫策が江東で勢力を伸ばしていくと、張昭を長史・撫軍中郎将に任じました。
孫策は張昭の家におもむいて母親にあいさつをするなど、旧友のようにあつかっていました。また文事武事の一切を張昭に任せました。
孫策は亡くなる間際、弟の孫権のことを張昭に託しました。
張昭は孫策の死後に百官を取りまとめ、孫権を擁立し、その補佐にあたります。
一方の孫権ですが、兄の死に心を痛めて家にひきこもり、政治をおこないませんでした。
すると張昭は、孫権にいいました。
「先人のあとを継ぐ者は、その事業を大いに発展させることが求められているのです。
いまは天下が乱れ、賊どもが満ちあふれています。
なのに家にひきこもって悲しみ、匹夫の情におぼれるとはいかがなものでしょうか」
さらに張昭は孫権の手を引いて馬に乗せ、兵士たちをそろえて出陣させます。
こうして呉の人たちは、だれが主君であるかがわかったのです。
孫権は狩りが好きで、よく虎を射殺していました。
あるとき、虎が突進してきて、馬の鞍に前足をひっかけたことがありました。
張昭は驚き、孫権にいいます。
「主君はこんな遊びをする必要はまったくありません。
人の上に立つ主君は、英雄をあやつり、賢者たちを働かせるものです。野を駆けめぐり、猛獣と勇敢さを競うなど、聞いたことがありません。
もしなにかあったら、天下に嘲笑されますぞ」
孫権は張昭に謝罪しましたが、それでも狩りをやめることはできませんでした。
妥協策として、虎狩り用の車を作り、四角い窓を取り付け、その中から虎を射ることにしました。
張昭はそれでも強く諫めましたが、孫権は笑ってごまかすばかりでした。
黄初二年(221年)、魏からは邢貞という者が使者としてやってきて、孫権に呉王の位を授けました。
ところが邢貞は門に入っても、車を降りませんでした。
張昭はこれを叱りつけていいました。
「礼においては、つねに「敬」を忘れてはならないからこそ、法も間違いなくおこなわれるのだ。
しかしそなたの尊大な態度はいかなることか。江南に刃がないとでもお思いか」
邢貞はあわてて車から降りました。
孫権が宴会を開き、おおいに酔っぱらったときのこと。
孫権は酔った家臣に水をかけ、
「今日は台から転げ落ちるほど酔うまでは、宴会はやめぬぞ」
といいました。
すると同席していた張昭は、なにもいわずに席を立ち、さっさと出ていって馬車に乗ってしまいました。
孫権はすぐに人をやって張昭を呼び戻します。
「みんなで楽しもうとしているだけではないか。なぜそのように怒るのだ」
すると張昭は、
「昔、紂王は酒の池を作って宴会をしましたが、悪事をおこなっているとは考えもしませんでした」
と答えました。
孫権は黙ってしまい、そのまま酒宴をやめました。
孫権が丞相を置こうとしたとき、家臣たちはそろって張昭を推挙しました。
しかし孫権は孫韶を丞相にしました。
のちに孫韶が死去すると、家臣たちはまたもや張昭を丞相に推挙しました。
孫権は、
「わたしは張昭を丞相にしたくないわけではない。
ただ丞相の仕事は大変で、しかもあの者は剛直な性格であるから、意見がぶつかってしまうこともあるだろう。
あの者のためにも、わたしは丞相にしないのだ」
といって、今度は顧雍を丞相にしました。
もう一つ理由があって、赤壁の戦いにおいては、張昭は周瑜・魯粛と対立する反戦派でした。曹操への降伏をすすめたことで、評価を落としてしまったというのがあります。
ただ、当時の状況からすると、曹操に降伏することで天下統一を速め、戦乱を無くすというのは一つの選択肢だったとは思います。
裴松之の注釈でも、
「もし張昭の意見が受け入れられたなら、天下は統一され、戦乱によって天下がひどい疲弊に陥るということは起こらなかっただろう。
孫氏の政権に利益をもたらすものでなかったとしても、天下への恩恵ははかりしれないものになっていたはずだ。
張魯は魏に降伏したのち、子孫代々まで手厚い礼遇を受けた。
ましてや孫権が呉をあげて魏に帰順したのならば、その恩寵ははかり知れなかったといえよう。
張昭が孫権のために降伏をすすめたのは、忠義の者の正しい意見であったのではないか」
と述べています。
公孫淵が孫権の配下に付きたいと申し出てきたとき、孫権は公孫淵に使者を送り、燕王の位を授けようとしました。
しかし張昭はこれを諫めていいました。
「公孫淵は魏に背いたことで、呉を利用しようとしているだけです。本心で呉に付こうとしているわけではありません。
もし公孫淵が魏に対する忠誠を示そうとしたならば、使者は殺され、我々は天下の笑いものになってしまいますぞ」
しかし孫権は張昭の意見を聞き入れず、使者を派遣してしまいました。
これを知った張昭は腹を立て、病気と称して自宅にひきこもってしまいます。
孫権もこれに怒り、張昭の家の門のを土でふさぎました。
一方の張昭も、内側から門を土でふさいで対抗します。
やがて公孫淵のもとへ向かった使者が殺されると、孫権はみずからの間違いを反省し、なんども謝罪の使者を送りましたが、張昭は家から出てこようとしません。
そこで孫権はみずから張昭の家の前まで行って声をかけましたが、張昭は「病気だから」といって会うのを断りました。
しかも門は内側から土でふさがれていて、開けることができません。
そこで孫権は門に火をつけて驚かそうとしましたが、張昭はますます門を固く閉じてしまいました。
孫権は火を消したあとも、ずっと門の前から立ち去りませんでした。
最終的には、張昭の息子たちが無理やり張昭をかかえて家の外に連れ出しました。
孫権は張昭を車に乗せて宮中にもどり、あらためて自分の過ちを反省し、深く謝罪をしました。
以降、張昭は朝議に出てくるようになりました。
張昭は威風堂々としており、孫権はつねづね「張公と話すときは、いいかげんなことはいわないように気を付けている」といっていました。
そんな張昭も、81歳で死去しました。
張昭は、普段着のまま、質素な棺で葬るように伝えていました。孫権は素服で葬儀に参加し、文侯と諡(おくりな)しました。
長男の張承はすでに侯に封じられていたので、末子の張休が爵位を継ぎました。
張承もつねに自分自身を磨くことにつとめた人物で、志のある者は皆、その門を叩いたといいます。
今回はそんな張昭の能力を見ていきましょう。
基本ステータスについて
統率:33
武力:3
知力:84
政治:97
魅力:81
主義:礼教
政策:経世済民(Lv2)(内政の全政策の効果を発揮)
親愛武将:王朗、孫策、趙昱、張温、張紘
嫌悪武将:歩隲、魯粛
本作では荀彧(政治99)に次ぐ2位ですね。統率・武力は低いので、文官特化といったパラメータになっています。
ただ『呉書』においては、
「孫権が討伐に出かけるときには、いつも張昭に留守をあずけて守りを固めさせた。
黄巾賊が反乱を起こすと、張昭が討伐に向かってこれを平定した。
さらに孫権が合肥へ遠征したときには、張昭に命じて別動隊として匡琦を討たせた。
さらに部将たちを指揮し、豫章の賊の頭領である周鳳らを南城で討ち破った。
以降、張昭がみずから指揮することは稀で、孫権の参謀の任にあたった」
と書いていますので、軍事の才はあったものと思われます。
シリーズの1のころから武力は低かったので、そのままずっと変わらずに推移した感じですね。
正史に合わせたい方は、DLC「編集機能第1弾」で編集するのがいいかと思います。
個性について
諌止:自ユニットを除く特定範囲内の味方ユニットが「挑発」になったとき、その期間を短縮。
智嚢:提案に登場しやすい。
名声:地域担当官に任命すると土地占領が拡大。捕虜になったときの身代金が増加。
教化:地域担当官に任命すると兵士が上昇しやすい。
人脈:登用、探索にかかる日数が短縮。
ステータス的にも内政で活かしていくのがいいかと思います。
陣形と戦法
魚鱗、衝車
統率・武力の低さから、「衝車」で都市攻めのサポートをするのがいいでしょう。
混乱:「混乱」付与。対拠点可。
罵声:敵の士気+攻軍ダウン。対拠点可。
効果は他の武将とおなじです。戦法は少ないですが、そもそも野戦に出すことも少ないかと思います。
総評
張昭は武将の中でもトップクラスの政治力を誇る武将です。
また個性にも「智嚢」「名声」「教化」「人脈」と内政スキルがそろっていますので、うまく活かしていきましょう。
一方で統率・武力は低いため、戦場に出すことは稀になるとは思います。
次回は「江東の二張」のもう一人、張紘を予定しています。【追記】次回と「孫子の兵法書」第8回出来ました。