『三國志14』武将能力:張紘の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その113】|三国志14

2020年6月4日三国志武将能力評価三国志, 三國志, 三國志14武将評価シリーズ

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『三國志14』三国志武将評価シリーズの第113回目は、張昭とともに「江東の二張」といわれる張紘(ちょうこう)についてお届けします。前回の張昭は以下のリンクから。

 

人物について

張紘、字は子綱(しこう)。徐州・広陵郡の人です。

都に出て学問を学び、故郷に戻ったあと、茂才(秀才)に推挙されました。

大将軍・何進、太尉・朱儁、司空・荀爽と、3つの府から次官に召し抱えたいとの誘いがありましたが、いずれも病気を理由にして断りました。

戦乱の世になると、江東へと移住します。

張昭諸葛瑾とおなじ、移住組なのニャ。

孫策が挙兵をすると、そのもとで仕官をします。そして張昭とともに、孫策の参謀をつとめました。

孫策はいつも2人のうちの1人に留守を守らせ、もう1人をいくさに連れていくことにしていました。

孫策が陣頭に立って戦うとすると、張紘は諫めました。

「指揮官というのは、作戦を立てるのがつとめです。全軍が命を託すところであり、軽はずみな行動をとってはならないのです」

でも孫策はあまりいうことを聞かないニャ。父親の孫堅ともども、陣頭に立つわ、単独行動をするわで、部下からすると迷惑ニャ。

呂布が徐州を乗っ取ると、徐州出身の張紘を招き寄せるために書簡を送りました。

張紘は呂布を嫌っており、そのもとで働くのを恥と考えていました。

もちろん孫策も張紘を手元に置いておきたいので、呂布にこう返信しました。

「海から取れる真珠は、どこであろうと重宝されます。

非凡な君子は、行く先ざきで重宝されます。

張紘を任用できるのが、どうして故郷だけとかぎりましょう」

孫策にしては気の利いたことを書いたのニャ。

建安4年(199年)、孫策は張紘を天子(皇帝)への使者として、曹操の勢力下であった許昌に派遣しました。

曹操は文事に優れた者を厚遇していました。そこで張紘を引き止め、府に招いて侍御史の役目をあたえ、許昌に引き止めました。

曹操らしいニャ。

孫策が亡くなると、曹操はこの混乱に乗じて呉を討とうと考えます。

しかし張紘はこれを諫めました。

「他人の死に乗ずるやり方は、古来の決まりに反することです。

それに、もしうまくいかなければ、恨みを買うだけになりましょう。

むしろいまは恩義をあたえるべきではないでしょうか」

曹操はこれを聞き入れ、孫権を討虜将軍に任じ、会稽太守の職務をおこなわせました。

呉の知らぬところで戦争を止めてたのニャ。

曹操はさらに、孫権が配下になるよう、張紘に説得を頼みます。こうして張紘は呉に戻り、そのまま孫権のもとに留まりました。もともと孫家の恩義に報いるつもりがあったのです。

のちに孫権は、合肥の戦いに張紘を連れていきます。孫権はみずから軽騎兵を率い、陣頭に立って敵に当たろうとしました。

孫権はおとなしそうでも、やっぱりおなじ血筋なのニャ。陣頭に立たないと気がすまない一族なのニャ。

張紘は孫権を諫めます。

「あなたは敵を軽んじてそのような行動をしていますが、我が軍の者たちはあなたのその行動に、内心冷やひやしているのです。

敵将を斬って軍旗を奪うのは、部将たちの仕事です。指揮官の仕事ではございません。

勇猛な心はおさえ、覇王としての計略を内心に持ってくだされ」

孫権はこれを聞き入れ、陣頭に立つことをやめました。

二代続けておなじことを注意されてるのニャ。

合肥の戦いののち、孫権は翌年もまた出陣しようとします。しかし張紘に止められ、取りやめにしました。

また張紘は、都を呉から秣陵(建業)に移すよう献策します。地勢がよいという理由からです。

当初孫権は乗り気ではありませんでした。

しかし劉備が江東にやってきて、秣陵に宿泊したときに、あたりの地形を見て、彼も孫権に遷都をすすめたのです。

孫権は「賢者の思うところは皆おなじだ」といい、都を移すことを決めました。

劉備の後押しがあったのニャ。

遷都がおこなわれたのち、張紘は呉にいる家族を迎えに行きました。しかしその途中で、病気のために亡くなってしまいました。

張紘は臨終のさい、孫権のために君主の心得を手紙にして書き残しました。孫権はそれを読み、涙したといいます。享年60歳でした。

めだつことはなかったけど、陰で何度も呉の大局を左右していたのニャ。まさに賢臣ニャ。

今回はそんな張紘の能力を見ていきましょう。

 

基本ステータスについて

統率:24
武力:22
知力:86
政治:95
魅力:84
主義:礼教
政策:城壁拡張(Lv5)(都市の耐久上限が上昇)
親愛武将:
孔融、顧雍、孫策、趙昱、張昭
嫌悪武将:筰融、呂布

政治95ニャ。張昭のほうが2上(政治97)ニャ。

本作だと95以上の武将は4人(荀彧、張昭、陳羣、諸葛亮)しかいないので、トップクラスの政治力といえます。

また知力は張昭(知力84)よりも2上ですね。ちょうど2ずつ違っている形になっています。

武力は張昭(武力3)よりだいぶ高いニャ。殴り合いしたら張昭のほうが強そうな気がするニャ。

どちらにしろ低いことには変わりがないですけどね。文官タイプなので内政で活かしていきたいところです。

 

個性について

築城:自ユニットの罠や施設の建設速度が上昇。

名声:地域担当官に任命すると土地占領が拡大。捕虜になったときの身代金が増加。

文化:地域担当官に任命すると人口が上昇しやすい。

人脈:登用、探索にかかる日数が短縮。

論客:外交で優遇

張昭とおなじで、ほとんどが内政系の個性ニャ。

個性の配置も張昭と似た形になっていますね。「人脈」「名声」は張昭も持っています。張昭の「教化」は「文化」になっていますね。

築城」があるので、なにか造るときに出陣させてもいいかもしれません。

 

陣形と戦法

陣形

方円、井闌

張昭とおなじで統率・武力が低いため、「井闌」で都市攻めの手助けをするのがいいかと。

戦法

治癒:負傷兵回復。対拠点可。

井闌:ダメージ。対拠点可

駆逐:ダメージ。

矢嵐:ダメージ。

水軍戦法もあるし、けっこう戦えそうな雰囲気ニャ。

井闌」もあるので、都市攻めのお供に使えますね。

 

総評

張紘は高い政治力を持った、文官タイプの武将です。

基本的には張昭と似たタイプになっており、「人脈」「文化」「名声」といった内政系の個性がそろっています。

戦闘ユニットとしては戦法に「井闌」があるので、都市攻めをサポートさせることができるでしょう。

また「築城」もあるので、なにか建てるときにだけ出陣させるといったことも可能です。

戦闘ユニットとしては、張昭よりちょっと使い勝手がいいニャ。

次回は曹洪を予定しています。【追記】次回出来ました。