『三國志14』武将能力:顧雍の評価は?【三国志武将評価シリーズ・その168】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第168回目は、呉の二代目丞相である顧雍(こよう)についてお届けします。前回の虞翻は以下のリンクから。
人物について
顧雍、字は元歎(げんたん)。呉郡・呉県の人です。
蔡邕(さいよう)が人の恨みを避けるために呉へやってくると、顧雍は蔡邕から琴と学問を学びました。
蔡邕は顧雍の高く評価し、
「そなたはきっと大成するだろう。わたしの名を送ろう」
といい、「雍」の名を授けました。「蔡邕」の「邕(よう)」と、「顧雍」の「雍(よう)」がおなじ音義なのはこれが理由だといいます。
また『呉録』では、顧雍の字が「元歎」なのは、蔡邕から賛歎(賛嘆)を受けたからだともいいます。
やがて合肥県の長となり、それから江東各地で政治を取り仕切りましたが、それぞれ見事な成果をあげました。
孫権が会稽郡の太守になると、みずからは任地に向かわず、顧雍を郡の丞に任じて太守の仕事を代理させました。反乱を鎮圧したことで、官民ともに顧雍に心服したといいます。
孫権が呉王になると、顧雍は大理奉丞に昇進し、尚書令・陽遂郷侯に任じられました。
しかし侯に封じられても、家族になにもいわずに普段どおり過ごしていたため、家族はあとでこのことを知って驚いたといいます。
顧雍は酒を飲まず、寡黙な人物でした。しかし物をいえば必ず的を得ていたため、孫権に賞賛されていました。
また宴会の席では、皆は顧雍の前で、はめをはずすことをしませんでした。孫権は、
「そなたのいる席だと、楽しむことができなくなる」
といっていました。
呉の初代丞相は孫邵(そんしょう)でしたが、彼が亡くなると顧雍が次の丞相になりました。張昭を推す声もありましたが、孫権はそれらを聞き入れませんでした。
あるとき、張昭が孫権に、
「法が煩雑で、刑罰が重すぎます。簡素化するべきでしょう」
と述べました。
孫権はしばらく考え込み、顧雍のほうを向いて「そなたはどう思う?」と聞きました。
すると顧雍は「張昭どのと同じ考えです」と答えたため、しぶしぶ従ったのです。
呂壱が諸官庁や州郡の公文書の検査監督になると、その権限を利用して私財を蓄えたり、多くの重臣や民の罪をでっち上げました。
顧雍も罪をでっち上げられた一人ですが、のちに呂壱の悪事が発覚し、顧雍が取り調べをすることになりました。
しかし顧雍は終始、事件に対する申し開きをさせ、顔も穏やかだったといいます。
尚書郎の懐叙は呂壱を罵りましたが、顧雍はそれを咎め、
「法律に照らすべきであり、そんなことをしてはいけない」
といいました。
顧雍は丞相を19年つとめ、66歳で亡くなりました。孫権は喪服を着て弔問したといいます。
今回はそんな顧雍の能力を見ていきましょう。
基本ステータスについて
統率:43
武力:18
知力:80
政治:90
魅力:78
主義:礼教
政策:地域振興(Lv5)(地域担当官による開発の上昇量が増加)
親愛武将:蔡邕、張温、張紘
政治ランキングでは司馬昭、士燮と並んで9位にランクインしてますね。
シリーズ初期のころは、政治は70台でしたが、だんだんと評価されていった形になっています。
個性について
名声:地域担当官に任命すると土地占領が拡大。捕虜になったときの身代金が増加。
振興:地域担当官に任命すると開発が上昇しやすい。
眼力:登用、探索で優遇。
輿望:地域担当官に任命すると、他勢力からの地域懐柔を防ぐ。
「輿望」はけっこう使えますね。前線に配置しておくと、乗っ取られなくなっていいでしょう。
陣形と戦法
方円、井闌
兵器持ちなので、都市攻めのサポートにでも。
鎮静:状態異常解消。
井闌:ダメージ。対拠点可。
統率も低いですし、兵器運用でいいとは思います。
総評
顧雍は呉の丞相で、文官タイプの武将です。
政治も90あり、「名声」「振興」「輿望」と地域担当官用の個性もそろっています。
とくに敵の地域懐柔を防ぐ「輿望」はうまく使っていきたいところです。また探索・登用が有利になる「眼力」もありますね。
戦闘においては「井闌」が使えますので、都市攻めのサポートをさせるのもいいでしょう。
次回は蔡邕を予定しています。【追記】次回出来ました。