わかりやすい全訳『孫子の兵法書』その8:虚実篇ー「虚を突く」とは?各個撃破の基本

2020年6月9日三國志14, 未分類三国志, 三國志, 孫子

sonshi08

ゲーマーのための兵法書シリーズわかりやすい全訳『孫子の兵法書』」第8回は、『孫子の兵法書』13篇の6篇目「虚実篇」をお届けします。前回の記事は以下のリンクから。

 

「敵の虚を突く」とは?

虚実」はだましたりすることなのかニャ?

ここではその意味ではなく、「」は軍が充実していない(無防備な)こと、「」は軍が充実していることを意味します。

孫子はいいました。

先に戦場に到着して、敵を待ちかまえる者は、余裕をもって戦うことができます。

遅れて戦場に到着し、戦いに向かおうとする者は苦戦することになります。

ゆえに、いくさ上手は、敵を思いどおりにすることができ、敵から思いどおりにはされないのです。

敵が自らやってくるように仕向けられるのは、利益があると敵に思わせているからです。

敵が来られないように仕向けられるのは、害があると敵に思わせているからです。

ゆえに、敵が楽な状態であれば疲れさせ、食糧がじゅうぶんであれば飢えさせ、敵が平安なときには動揺するように仕向けさせられるのです。

つまりどういうことなのニャ?

ようするにいくさ上手は、「」(充実している)の敵を、「」(充実していない。無防備)にすることができるということですね。これが「虚実」をあやつる兵法です。

具体的な話になってないニャ。

続きを見ていけばわかります。

敵が行かないところに駆けつけ、敵の思いもよらないようなところに向かい、千里の道を進んでも疲れないのは、敵のいない場所を移動しているからです。

攻めてかならず攻め取れるのは、敵が守っていないところを攻めているからです。

守ってかならず守りきれるのは、敵が攻撃しないところを守っているからです。

ゆえに、攻撃の上手い者を相手にすると、敵はどこを守っていいのかわからなくなります。

守備の上手い者を相手にすると、敵はどこを攻めていいのかわからなくなります。

微妙の境地は形もなく、神妙の境地は音もありません。

ゆえに、敵の生死を自由にあやつることができるのです。

こういうのを「敵の虚を突く」といいますね。敵の無防備(虚)な部分を突くことです。

「虚を突く」ってそういう意味だったのニャ。

 

各個撃破の基本

進軍して敵が防げないのは、その虚(無防備)を突いたからです。

退却して敵が追いつけないのは、我が軍が素早くて追いつけないからです。

ゆえに、我が軍が戦おうとするときは、敵が土塁を高く積み、堀を深く掘って守ろうとしても、戦わざるを得なくなります。

なぜなら、敵がかならず助けに行かなければならないところを攻撃するからです。

我が軍が戦いを避けたいと思うばあいは、地面に線を引いてこれを守るだけでも、敵は戦うことができません

なぜなら、敵の攻撃先をはぐらかしてしまうからです。

守らないといけないところ攻撃されたら、守っていても出ていかざるを得なくなるニャ。

そのようにして、敵の虚を突くことが虚実篇の要点です。とにかく敵の弱いところを突くのは戦争の基本です。

ゆえに、敵に「形」を露見させて、こちらの「形」を見せなければ、我が軍は兵力を集中することができ、敵は兵力を分散せざるを得なくなります。

我が軍は集まって一つとなり、敵は分散して十の部隊になれば、我が軍は十の兵力で敵軍の一の兵力を攻めることができます。

すなわち、我が軍は兵力が多く、敵は兵力が少ないという状態になるのです

まさに各個撃破ニャ。敵はどこを攻撃していいかわからないから、兵力を分散させてしまうのニャ。逆にこっちは兵力を集中できるニャ。

大軍で小軍を攻撃できるのは、兵力を集中できるからです。

我が軍が戦おうとする場所を敵は知ることができません。

知ることができなければ、敵は備えなければならない場所が多くなってしまいます。

敵がたくさん備えれば、兵力が分散されて少数になります。

ゆえに、敵が前方を守れば、後方が手薄になります。

後方を守れば、前方が手薄になります。

左を守れば、右が手薄になります。

右を守れば、左が手薄になります。

すべての場所を守れば、すべての場所が手薄になります。

兵力が少ない状態になってしまうのは、分散して敵に備えなければならないからです。

兵力が多いというのは、敵を分散させて備えさせられるからです。

ゆえに戦いの地を知り、戦いの日を知れば、千里離れた場所でも会戦するべきです。

戦いの地を知らず、戦いの日も知らないのであれば、左軍は右軍を、右軍は左軍を助けることができません。前軍は後軍を、後軍は前軍を助けることができません。

(自軍でもこのような様子なので)ましてや数里や数十里離れた場所にいる友軍を助けることはかなわないでしょう。

情報は大切ニャ。各個撃破するためには、相手の動きや戦場を知っておかないとならないニャ。張飛は蜀の地形を理解していたから、漢中から攻め込んできた張郃を各個撃破できたのニャ。

逆に情報がなければ兵力を集中することもできず、どこから来るかわからない敵に対して分散させなければならないのです。

戦争が情報戦なのも、これが由縁です。

わたしが思うに、越の兵士がどれほど多かろうと、それがどうして勝敗に有利になるといえるでしょうか。

ゆえに勝利というのは、(単純な数の比較などではなく)人が作りだすものなのです。

敵がたとえ大軍でも、(敵を分散させて)戦えないように仕向ければいいのです。

大軍でも、バラバラになってしまえば、それぞれは小軍ニャ。それを各個撃破していけばいいのニャ。

 

「軍の形は水の形」とまとめ

ゆえに敵の状況を見積もって、その損得を知り、

敵を挑発して動かし、その行動原理を知り、

敵の態勢を把握し、その有利な地形と不利な地形を知り、

敵と小競り合いをしてみて、優勢な場所と手薄な場所を知ることです。

敵を観察して、情報を得るというのも方法ニャ。

ゆえに、軍の究極の形とは「無形」なのです。

無形であれば、深く入り込んだ間者(スパイ)も情報を知ることができず、

敵の智者も謀(はかりごと)をすることができません。

相手の「形」がわかればそれで勝利することができますが、普通の人びとはその「形」が理解できません。

普通の人びとは我が軍が勝った「形」を知ることはできても、どのようにして勝ちを得たのかを知ることはできません。

ゆえに、戦いに勝つのに二度おなじ「形」を使うことはなく、敵の「形」に応じて無限に変化していくものなのです。

兵法とは、決まりきった形でのワンパターンじゃダメなのニャ。敵に対して柔軟に対応していくのニャ。

どんな敵を相手にしているのかが重要なのであって、「こうすれば勝てる」みたいな万能な攻略法があるわけではないということでもありますね。

敵の「形」をしっかり読み取らないとだめなのニャ。

そもそも軍は形はのようなものです。

水の形は高いところを避けて、低いところへと向かいます。

兵の形は実(敵の充実しているところ)を避けて、虚(敵の無防備なところ)を撃つのです。

水は地形によって流れを決め、軍は敵の状況に対応して勝利を勝ち取ります。

ゆえに軍に決まった態勢というものはなく、水に決まった形はありません。

敵の状況に対応して、変化して勝利を勝ち取る者、これを「神(神妙)」といいます。

ゆえに五行(木・火・土・金・水)の中の一つがつねに勝つわけではなく、四季はつねにとどまっているものではなく、一日の長さにも長短があり、月にも満ち欠けがあるのです。

世の中や物事というのはつねに変化していきます。

お金持ちの書いた実用書を読んでもお金持ちになれないのは、すでにそのときと状況が変わっているからです。

二匹目のドジョウはいないニャ。

現在がどういう状況であり、それにどう対応するか、そういうことが柔軟にできる者こそが勝利を得られます。

それが「虚実篇」の要点ともいえるでしょう。

なにを相手にしているのか、その分析をしっかりとやれば勝利の道は開けるニャ。そういうことをしないで戦っても勝つのは難しいニャ。

「虚実篇」はこれで終了です。次回は「軍争篇」です。