わかりやすい全訳『孫子の兵法書』その7:勢篇ー人材よりも勢い?
ゲーマーのための兵法書シリーズ「わかりやすい全訳『孫子の兵法書』」第7回は、『孫子の兵法書』13篇の5篇目「勢篇」をお届けします。前回の記事は以下のリンクから。
組み合わせは無限大
そうですね。「形」は静的な姿勢ですが、それによって「勢(勢い)」を導き出します。
孫子はいいました。
大勢の兵士をあやつるのに、まるで少数の兵士をあやつるかのごとくできるのは、部隊を編成しているからです。
大勢の兵士を戦わせても、まるで少数の兵士を戦闘させているかのごとくできるのは、旗や太鼓などの指令があるからです。
三軍(全軍)の兵士が敵を迎え撃って決して負けないのは、奇正(奇法と正法)を使い分けているからです。
敵を攻撃すれば、まるで石に卵を投げるかのように撃破できるのは、虚実を使い分けているからです。
戦争というものは正(正攻法)で戦い、奇(奇法。敵の不意をつく)でもって勝ちます。
ゆえに、奇法がうまい者は、その変化は天地の動きのようにきわまりなく、江河(長江・黄河)の水のように尽きることがありません。終わってまたはじまる四季がそれであり、暗くなってまた明るくなる太陽と月がそれです。
音は5声(宮・商・角・徴・羽)しかありませんが、5声の組み合わせによる変化はとても聴きつくすことができません。
色は5色(青・黄・赤・白・黒)しかありませんが、5色の組み合わせによる変化はとても観(み)つくすことができません。
味は5味(酸・辛・鹹・甘・苦)しかありませんが、5味の組み合わせによる変化はとても味わいつくすことができません。
戦勢(戦争の態勢)は奇・正の2種類しかありませんが、奇・正の組み合わせによる変化はとてもきわめつくすことができません。
奇正が相生じることは、まるで端のない循環(円)のようなものです。
いったい誰がこれをきわめられるというのでしょうか。
言葉や物語もそうですね。物事というのは組み合わせから生まれてくるものです。
兵法もそれとおなじで、なにか奇抜な方法があるわけではなく、奇と正を組み合わせることによって無限に変化させるものなのです。
「勢」と「節」と「形」
堰き止められていた水が一気に流れ、岩石をも押し流すのが「勢(勢い)」です。
鷹などの猛禽が急降下して、獲物の骨を打ち砕くのは「節(節目。タイミングや瞬間のこと)」です。
これゆえに、いくさ上手の者は、その「勢」は激しく、その「節」は短いです。
「勢」は弩を引くかのようで、「節」は引き金を引くかのようなものです。
そうですね。その「勢」を作り出すのが、前回の「形」です。
軍が入り乱れても、軍の統制を乱してはいけません。
陣形がどんどん変わっても、敵に隙をあたえて敗北してはなりません。
混乱は整然から生じ、臆病は勇敢から生じ、弱さは強さから生じます。
整然となるか混乱するかは、軍の編成次第です。
勇敢となるか臆病となるかは、「勢」次第です。
強いか弱いかは、「形」次第です。
スポーツでも、連勝して勢いのあるチームは強いですしね。
ゆえに、敵を上手く誘導できる者は、敵にわざと隙のある「形」を見せれば、敵はかならずそれに応じた行動をします。
敵になにかをあたえれば、敵はかならずそれを取りにきます。
つまり、利益をもって敵を誘導し、部隊を配置してこれを待ち構えます。
敵の「形」を見極めることだけでなく、あえて偽の「形」を見せることによって敵をコントロールすることも、戦術においては重要になってきます。
「勢」に乗ることとまとめ
いくさ上手な者は、戦いの「勢」によって勝利をおさめます。兵(人)の働きに頼ることはしません。
だからこそ兵を適材適所に配置して、「勢」に乗せることができるのです。
「勢」に兵を乗せる者は、その兵を戦わせる様子は、木や石を転がすような勢いなのです。
その「勢」を生むために「形」を作らなけれならないのです。
木や石の性質は、平らなところでは止まっていますが、斜面では動き出します。
四角いものは止まりますが、丸いものは転がります。
上手く兵を戦わせるときの勢いは、高い山から丸い石を転がすようなものです。
それが「勢」なのです。
その状態をつくるのが、指揮官の仕事ですね。
こちらの10倍の相手に対して、兵士たちに「戦え」といっても戦いません。
逆に、こちらが敵の10倍なら、兵士たちはわれさきにと戦いに向かうでしょう。
兵士たちを上手く使いこなすためには、指揮官は「勢」が発生するような状況をセッティングしてやらなくてはならないのです。
会社や学校でもおなじことがいえますね。環境をととのえることで、社員や生徒の「勢」を発生させることができます。
「勢篇」はここまでです。次回は「虚実篇」です。