『三國志14』武将能力:羅憲の評価は?【三国志武将評価シリーズ・その252】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第252回目は、蜀滅亡後に呉の侵攻を防いだ羅憲(らけん)についてお届けします。前回の譙周は以下のリンクから。
人物について
羅憲、字は令則(れいそく)。荊州・襄陽郡の人です。
父の羅蒙はいくさを避けて蜀に移住し、広漢太守にまでなりました。
羅憲は幼いころから聡明で、13歳のころには巧みな文章を書くことができました。陳寿とともに譙周に師事し、門人からは「子貢(孔子の弟子)のようだ」と称されます。
劉禅が長男の劉璿(りゅうせん)を太子に立てると太子舎人となり、さらに庶子・尚書吏部郎に昇進します。宣信校尉として呉への使者となり、呉の人たちから称賛されました。
当時、蜀では黄皓が権力を握っていましたが、羅憲が同調しなかったことから怒りを買い、巴東太守に左遷されてしまいます。
右大将軍の閻宇が巴東の都督として赴任したことから、劉禅は羅憲を閻宇の副将に任じました。
魏が蜀に攻めてきたとき、羅漢は永安城を守備します。「成都が陥落した」とのうわさが広まり、城が大混乱に陥ると、羅憲はうわさを流した者を斬り殺して民を落ちつけました。
そののち、劉禅が降伏したとの報が入ると、羅憲は3日間喪に服します。
一方、呉は蜀の降伏を知ると、救援と見せかけて羅憲を攻撃してきました。
羅憲は呉の捕虜になりたくなかったので、将兵を説得して呉の侵攻を防ぎます。
しかし呉の勢いを止めることができず、司馬昭のもとへ印綬と人質を送って救援を求めました。
そのあいだ羅憲は呉の攻撃をよく防いだものの、呉からはさらに陸抗の3万の軍が送られてきます。城は包囲され、援軍は6カ月経っても来ませんでした。
城内では多くの者が病にかかり、部下たちは羅憲に逃げるよう進言しました。
しかし羅憲は、
「人の主たる者は、民が仰ぎ慕う存在である。危険だからといって民の安全を守らず、見捨てて逃げるような真似は君子のするべきことではない。ここで命を捨てよう」
といいました。
やがて司馬昭の命を受けた荊州刺史の胡烈が援軍を率いて駆け付け、陸抗を撤退させます。
司馬昭は羅憲をそのまま以前に任に就かせ、陵江将軍・万年亭侯に任じました。
のちに司馬炎が晋を興すと、羅憲は妻子を洛陽に住まわせます。司馬炎は羅憲の子の羅襲を給事中に任じました。
泰始3年(267年)には入朝して、冠軍将軍・仮節に昇進します。
翌年、司馬炎から「蜀の大臣で誰を任用すべきか」を下問されたとき、陳寿などを推挙し、全員が採用されました。
羅憲は任地に戻ると、呉の巫城を攻め落とします。
羅憲は厳正で、士をもてなし、財を軽んずる人物でした。泰始6年(270年)に亡くなり、安南将軍の号を追贈され、烈侯と諡(おくりな)されました。
今回はそんな羅憲の能力を見ていきましょう。
基本ステータスについて
統率:84
武力:70
知力:74
政治:70
魅力:72
主義:王道
政策:墨守研究(Lv4)(都市があたえる反撃ダメージが増加)
親愛武将:譙周
嫌悪武将:黄皓
呉の攻撃をしのいだことが評価されていますね。
初登場は『三國志9』からで、そのときから似たようなステータスが続いています。
個性について
不屈:兵站切れしたさい、自ユニットの士気が低下しにくい。
堅牢:所属都市に所在していると、都市が攻められたさい、反撃ダメージが増加。
寡欲:自身の俸禄が減少。
守りに向いた個性なので、上手く配置するといいでしょう。
陣形と戦法
雁行、方円、投石
野戦・都市攻めと活躍できるかと思います。
斉射:ダメージ。対拠点可。
連弩:ダメージ+「足止」付与。対拠点可。
鉄壁:味方の防御アップ。
鼓舞:味方の士気アップ。
投石:耐久ダメージ+ダメージ。対拠点可。
呉が攻めてきたときに、長江で弓を射て防いでいたことからでしょう。
兵器戦法もあるので、攻め手でも使いやすいですね。
総評
羅憲はバランス型の武将です。統率は80台、それ以外も70台となかなか高いステータスになっています。
個性としては、都市の反撃ダメージを増やせる「堅牢」があります。また兵器を使うこともでき、「斉射」「連弩」「投石」の戦法も持っています。攻めにも守りにも対応できるでしょう。
内政もできますので、さまざまな場面に対応していける武将です。
次回は閻宇です。