『三國志14』武将能力:陸抗の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その149】|三国志14

2020年6月10日三国志武将能力評価三国志, 三國志, 三國志14武将評価シリーズ

rikukou

『三國志14』三国志武将評価シリーズの第149回目は、陸遜の子の陸抗(りくこう)についてお届けします。前回の歩隲は以下のリンクから。

 

人物について

陸抗、字は幼節。陸遜の次男で、母は孫策の娘の孫氏です。そのため、血統的には孫策の外孫ということにもなります。

孫氏の血が流れているのニャ。

陸遜が亡くなったとき、陸抗は20歳でした。建武校尉となり、父の配下であった兵士5千人を引き継ぐことになります。

陸抗は父の棺を故郷まで運んだのち、都へ行って孫権の配慮に対する礼を述べました。

しかし孫権の後継者問題で、孫権と陸遜の仲が悪化し、陸遜に対する「二十条の疑惑」が楊竺によって上奏されていました。

陸抗はこの疑惑に対して、一つひとつ弁明をしていったことで、孫権とのわだかまりが解消されたといいます。

まずは父親の疑惑を晴らすことからなのニャ。

赤烏9年(246年)、陸抗は諸葛瑾の子・諸葛恪と任地を交換して、柴桑に駐屯しました。

引っ越しをするときに、陸抗はもとの駐屯地の外壁を修繕したり、住居の壁や屋根を治したり、果樹園にも手をつけないよう厳命しました。

「立つ鳥あとを濁さず」ニャ。

諸葛恪が陸抗の駐屯地にやってくると、すべてが整っていてきれいな状態でした。

一方、陸抗が移った柴桑の駐屯地は、壊れたままの場所も多かったため、これを知った諸葛恪は大いに恥じ入ったといいます。

どっちも重臣の2世だけど、陸抗は育ちがいいのニャ。諸葛恪は傲慢なのニャ。

太元元年(251年)、陸抗は病気になり、療養のために都へ移りました。

治って任地にもどろうとしたとき、孫権は涙ながらに別れをいい、

「おまえの父のことは申しわけなく思っている。なんども送った詰問の手紙は、すべて焼いて他人に見せないでほしい」

といいました。

孫権が反省したのニャ。

時が経ち、呉の最後の天子(皇帝)・孫晧の代になると、陸抗は軍の総指揮官の地位にまでのぼりつめました。

父親とおなじく、孫呉の柱になったのニャ。

鳳凰元年(272年)、西陵の督であった歩隲の子・歩闡(ほせん)は呉に反旗を翻し、晋に寝返ってしまいます。

陸抗は兵を率い、西陵の城を包囲しました。

しかし晋からの援軍を恐れた諸将たちは、「早く攻撃を仕掛けたほうがいい」と言い出します。

援軍が来たら挟み撃ちになるニャ。

すると陸抗はいいました。

「この城の防備は、以前わたしが配備したものだ。そう簡単に落とせるものではない。それに晋の援軍はかならず来る。挟み撃ちになるが、それに対して備えなければ、どうやって防ぐつもりなのか」

挟み撃ちされること前提で、兵力温存する気なのニャ。

当然、理解が得られるわけもなく、その後も城への攻撃願いが出され続けました。

陸抗は諸将たちを納得させるため、一度だけ城への攻撃を許可しました。

結果、なんの戦果も挙げられなかったため、諸将たちはやっと納得して包囲陣形をしっかりと整えました。

城が短期間で落とせないことがわかったのニャ。

さて、晋からやってきた援軍を指揮するのは、陸抗のライバルでもある名将・羊祜(ようこ)です。

羊祜が江陵へと向かったため、諸将たちは、

「このまま西陵にとどまらず、江陵の守りに向かうべきだ」

と言い始めました。

しかし羊祜は、

「江陵の守りは十分だ。仮に落とされたとしても、守りきれはしないから、取り返すのは容易だ。

一方、西陵の兵力を減らせば、南方の異民族が反乱を起こすかもしれない。そうなったら、対処しなければならないことが増えてしまう。

たとえ江陵を捨てても、西陵に兵を集中すべきだろう」

と答えました。

兵力の分散が一番よくないニャ。袁紹曹操との戦いでやらかしてるニャ。

陸抗は江陵の督の張咸に命じ、水路を堰き止めさせました。こうして水をためて平野一帯を水没させ、敵の侵入を防ぐと同時に、江陵からの逃亡兵も防ぐという策です。

しかし羊祜は、水が溜まっている状況を逆に利用し、船での兵糧輸送をおこないました。その一方で、

「歩兵を通すため、敵の堤防を切れ」

と嘘の命令を広めたのです。

陸抗はこれを知ると、急いで堰を切るよう命じました。諸将たちはわけがわからず、堤防を切るべきではないと反対しましたが、陸抗は聞き入れません。

堤防が壊されたことを知った羊祜は、船での兵糧輸送を途中であきらめ、陸路での輸送に切り替えました。しかしこのことによって、輸送に大きな労力を割くことになったのです。

さすがライバルどうしの頭脳戦ニャ。

羊祜との戦いは何カ月にもおよび、けっきょく羊祜側は決め手がないまま退却してしまいました。

こののち、陸抗は西陵の城を落とします。歩闡とその一族や、主だった将たちは処刑しましたが、それ以外の者たちは許しました。

そして西陵の城壁などを修繕してから、兵を退きました。

修繕するのが好きなのニャ。

この大手柄に対して、陸抗はいっさい誇ることはなく、以前と変わらず謙虚な態度で人に接していました。このことから、将兵は陸抗に心服したといいます。

謙虚な将軍なのニャ。

羊祜は敗戦のあとも、機会があるごとに呉との国境で徳のあるおこないをし、呉の人たちの心を引き付けようとしました。

これに対して陸抗も、国境を守る者たちに、

「相手が徳をおこない、こちらが非道をおこなえば、戦う前から負けてしまうようなものだ。小さな利益を追わず、それぞれの持ち場を正しく守れ」

と命じました。

これによって両国のあいだは、食糧が置かれたままになっても敵国が奪っていくことはなく、牛や馬が敵国に逃げても、連絡をすればちゃんと取り戻すことができました。

また手負いの獲物が敵国へ逃げたばあいも、それらはすべて送り返されたといいます。

やっぱり徳のある人がトップに立つと、世の中は平和になるのニャ。

陸抗が病気になったとき、「なにかよい薬はないか」と羊祜に使者を送って伝えました。

すると羊祜は薬を調合し、使者に渡して持ち帰らせました。陸抗はなんの疑いもなく、その薬を飲み干しましたといいます。

もうこいつら、ただの友達ニャ。

しかし陸抗と羊祜の友好関係は、両国の臣のなかで眉をひそめる者たちも少なくありませんでした。

これはある意味仕方がないニャ。

陸抗は孫晧に呼び出され、いったいどういうことなのかと詰問されます。

陸抗は、

「大国に真義を守る者がいなくてよいものでしょうか。もしわたくしが晋に対抗しなければ、それは相手の徳を助長させるだけです」

と答えました。

当時、国境での晋と呉の力は拮抗しており、たがいの領土を侵すことは、簡単にはできませんでした。この状況では、相手を傷つけることで有利になろうとするよりも、民の心を引き付けるほうが有効な手段だったともいえます。

じっさい羊祜は、徳によって敵も味方も差別せずにあつかっていたことから、多くの民がそのもとへ集まったといいます。また外国も晋と手を結びたがっていました。

一方の呉ですが、晋に比べて国は小さく、天子の孫晧は暴虐を尽くしているという状況です。放置すれば、民や将兵はどんどん晋へと流れていくでしょう。

陸抗は理想論だけでやっていたわけではないのニャ。ちゃんと呉のことを思っていたのニャ。

鳳皇2年(273年)、陸抗は病気が重くなり、やがて死去してしまいます。

それから7年後の天紀4年(280年)、呉は晋に滅ぼされてしまいました。

国の要がいなくなったのニャ。呉の命運は尽きていたのニャ。

今回はそんな陸抗の能力を見ていきましょう。

 

基本ステータスについて

統率:91
武力:63
知力:87
政治:85
魅力:87
主義:王道
政策:施設開発(Lv5)(Lvで各種施設開放)
父親:陸遜
母親:孫氏
親愛武将:
吾彦、羊祜

統率90越えニャ。知力・政治・魅力も80台だし、優秀な武将ニャ。

本作の統率ランキングでは9位に入っていますね。知力・政治・魅力も、補正が入れば90台に届くでしょう。

ちなみにシリーズ初登場の『三國志3』での評価は高くなく、武力・知力は77、政治は69といったステータスでした。そこから評価が上がっていった形ですね。

親愛武将に羊祜がいるニャ。

本作では羊祜を味方にして、夢のタッグも可能ですね。

 

個性について

督将:自ユニットを除く特定範囲内の味方ユニットの破城が上昇(艦船、兵器以外)。

水戦:大河で自ユニットの全能力が上昇。

一心:自ユニットが攻撃を受けたさいに士気が低下しにくくなる。

封殺:特定範囲内の敵ユニットが「足止」になったさい、期間を延長。

改修:所属都市に所在していると、耐久の回復量が増加。

改修」はやっぱりあったニャ。リフォーム好きなのニャ。

親譲りの「水戦」もありますね。三国志後期武将で、これだけスキルが揃っているのは優秀です。

 

陣形と戦法

陣形

魚鱗、方円、鶴翼、井闌

防御重視の陣形が多いニャ。

井闌」もありますし、野戦・攻城戦とこなしていけるでしょう。

戦法

連弩:ダメージ+「足止」付与。対拠点可。

激励:味方の士気+攻軍アップ。対拠点可。

鯨波:味方の破城アップ+敵の攻軍ダウン。対拠点可。

井闌:ダメージ。対拠点可。

駆逐:ダメージ。

矢嵐:ダメージ。

戦法は多いけど、固有戦法はないのニャ。

そもそも登場が遅いのもネックですね。DLCかアップデートで、陸抗が活躍できる後期シナリオを追加してほしいところです。

 

総評

陸抗は後期三国志における呉のエースです。統率は91あり、知力・政治・魅力も80台後半という好ステータスを誇っています。

戦闘ユニットとしては「水戦」の個性や水軍戦法もあり、「井闌」も持っているため、野戦・水上戦・攻城戦と幅広く対応することができます。

人材不足の後期の呉では、中心となる武将といえます。

傾きかけた呉を再建するのニャ。

次回は羊祜を予定しています。【追記】次回出来ました。