『三國志14』武将能力:歩隲の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その148】|三国志14

2020年6月9日三国志武将能力評価三国志, 三國志, 三國志14武将評価シリーズ

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『三國志14』三国志武将評価シリーズの第148回目は、呉の丞相をつとめた歩隲(ほしつ)についてお届けします。前回の士燮は以下のリンクから。

 

人物について

なんかイラストのポーズかっこいいニャ。あとこれはDLCの史実武将編集画面ニャ。

史実武将編集画面のほうがイラストが大きく表示されるので、今後はこちらを使っていこうと思います。

歩隲、字は子山(しざん)。臨淮郡・淮陰県の人です。いわゆる徐州出身で、戦乱で呉に移住したグループですね。

諸葛瑾とおなじなのニャ。

ただ歩隲は江東に頼れる人たちがいなかったため、生活は困窮していました。

広陵の衛旌(えいせい)という者が同じ年で仲が良かったことから、ともに瓜を植えたり、昼は肉体労働をしたりで生活費を稼いでしました。

しかしそんな生活の中でも、夜は経書を諳んじるなどして勉強を欠かすことはありませんでした。

苦学生なのニャ。偉いニャ。

ちなみに歩隲の祖先の歩叔は、孔子の70人の弟子のうちの一人です。秦から漢に時代が移ったころ、その一族の者が手柄を立てて淮陰侯に封じられました。歩隲はその子孫です。

歩隲は学識が広く、さまざまな分野に深く精通していました。冷静沈着で、人の意見を謙虚に受け入れることができる人物でした。

イラストがそんな感じなのニャ。

江東の地にはさまざまな豪族がおり、会稽郡では焦矯(しょうきょう。「焦征羌」とも)という者が幅を利かせていました。

歩隲と衛旌は生計を立てるため(というか、焦矯に嫌がらせをされないようにするため)、育てた瓜を手土産に、焦矯のご機嫌伺いに向かいました。

焦矯は歩隲らが来ても、奥の部屋で寝そべって、二人を待たせたままにしていました。

偉そうなやつなのニャ。

衛旌は腹を立て、「さっさと帰ろう」と歩隲にいいます。

しかし歩隲は、

「我々は焦矯を恐れてここへ来ているのだ。ここで帰れば、恨みを買うだけだ」

といって衛旌を引き留めました。

やがて焦矯は目を覚ました。しかし歩隲らは、窓の外に敷いた敷物に座らされました。

また食事も、焦矯はごちそうを食べていましたが、歩隲らに出されたのは、少量のご飯に野菜だけといった粗末なものでした。

衛旌は腹を立て、食事に手をつけませんでした。

しかし歩隲は気にする様子もなく、すべて食べてから焦矯のもとを辞しました。

衛旌は歩隲にいいました。

「こんなひどいあつかいを受けて、なぜ平然としていられるのだ」

歩隲は答えます。

「我々は貧乏で、なんの身分もない。だからこのような待遇を受けたのだ。当然のことなのだから、恥ずかしがる必要はないだろう」

自分の状況を冷静に見極めているニャ。等身大の自分を把握できている人は、自己肯定感も高いのニャ。

のちに官職に就くも、一年ほどで病気になって免職させられました。しかしそののち、諸葛瑾厳畯とともに呉郡へ出て、孫権に召し出されることになります。

呉は南方の交州にも勢力を伸ばそうとしていました。

当時その地域では、前回登場した士燮の一族と、蒼梧(そうご)太守の呉巨が勢力を持っていました。

とくに呉巨は、劉表が太守に任命したこともあり、呉には面従腹背といった様子でした。

孫権の一族は、劉表とは仲が悪いし、その配下の黄祖とはかたきどうしニャ。

交州の刺史となった歩隲は、まず呉巨を礼を持って懐柔し、会見の席に招きました。

そしてこの席で、呉巨を殺してしまいます。

ずいぶん直接的なやり方ニャ。

劉表とは相容れませんし、現実問題懐柔は無理でしょう。

このことにより、歩隲の名は交州に響き渡りました。士燮ら兄弟もこれを知ると、歩隲に従うようになったのです。

延康元年(220年)、孫権は呂岱を交州刺史に任命し、代わりに歩隲を益陽へ移転させました。

というのも、劉備関羽のかたき討ちで攻め込んできたあと、劉備は敗れましたが、荊州は治安が悪化しました。異民族たちの不穏な動きもあったり、従わない者たちがいたりといった状況だったのです。

歩隲は零陵や桂陽の各地を転々とし、反乱勢力を平定していきました。

軍事もできたのニャ。

陸遜が亡くなると、歩隲はそのあとを継いで丞相となりました。

しかしおごることはなく、書物はいつも手放さず、着る者も住む場所も学者たちとおなじように質素なものだったといいます。

生涯、一学者ニャ。

ただ、妻や妾たちが贅沢をして着飾っていたことから、批判を受けることもありました。

身内が足をひっぱってくるのニャ。

歩隲は西陵を20年以上治め、敵国でもその威信には敬意を払っていました。

そして赤烏10年(247年)、歩隲は亡くなりました。

太っ腹で、感情を顔に表さない人物でしたが、家の内外はよく治まっていたといいます。

堅実に一生を終えたのニャ。

今回はそんな歩隲の能力を見ていきましょう。

 

基本ステータスについて

統率:75
武力:51
知力:84
政治:86
魅力:71
主義:礼教
政策:兵器強化(Lv3)(兵器陣形の効果が上昇)
親愛武将:
厳畯、諸葛瑾、孫覇、張承、潘濬
嫌悪武将:張昭、呂壱

戦える文官ニャ。

文官パラメータにしては、統率は75ありますね。荊州各地の反乱勢力を平定してまわったことが評価されているのでしょう。また知力・政治も、ともに80台あります。

ちなみにシリーズ初期は知力・政治が70台が多く、どちらも80台になったのは『三國志8』以降からですね。

 

個性について

沈着:自ユニット、太守として所属する拠点が「挑発」にならない。

教化:地域担当官に任命すると兵士が上昇しやすい。

眼力:登用、探索で優遇。

慰撫:所属都市に所在していると賊が出現しなくなる。

なかなか強力な内政個性があるニャ。

慰撫」は賊の出現を防ぐことができます。賊が発生する治安の悪いところにでも適宜配置しておくのがいいでしょう。

眼力」「教化」もあるのでうまく使っていきたいところです。

 

陣形と戦法

陣形

鶴翼、衝車、投石

兵器が2種類もあるニャ。

状況によって使い分けて都市攻めをするのがいいかと。

戦法

衝車:耐久ダメージ。対拠点可。

投石:耐久ダメージ+ダメージ。対拠点可。

駆逐:ダメージ。

矢嵐:ダメージ。

兵器戦法と水軍戦法のみニャ。

水軍があるのは呉の将らしいですね。どちらの兵器の戦法も使えるので便利です。

 

総評

歩隲は文官タイプの武将ですが、統率は75あり、戦闘ユニットとしてもそこそこ戦ってくれると思います。

また「衝車」「投石」と兵器がそろっているので、都市攻めにも適しています。

内政向けの個性としても、「教化」「眼力」「慰撫」といった種類別のスキルがそろっています。探索・登用や治安維持などに役立てていきましょう。

呉の丞相の力を見せるのニャ。

次回は陸遜の子の陸抗を予定しています。【追記】次回出来ました。