『三國志14』武将能力:黄祖の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その71】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第71回目は、孫呉3代の宿敵である江夏の太守・黄祖(こうそ)についてお届けします。前回の丁奉は以下のリンクから。
人物について
孫堅・孫策・孫権と、孫呉三代に渡って因縁のある人物ですからね。
ただそのわりに、黄祖自身のことについてはあまり知られていません。字もどのような出身なのかも不明です。
劉表の配下の武将とされており、江夏の太守を務めていました。子には黄射がいます。
黄祖が歴史の表舞台に出てくるのは、孫堅と劉表のあいだでおこなわれたいくさ「襄陽の戦い」です。
反董卓連合が瓦解したのち、袁紹と袁術の対立が表面化しました。
袁紹は劉表と手を組んだため、袁術は配下であった孫堅に劉表討伐を命じます。このときの攻撃目標となったのが、劉表のいる荊州・南郡の襄陽城です。
劉表は孫堅来襲を知ると、樊城に黄祖を派遣しました。樊城は襄陽城の、漢水を挟んだ北側に位置します。
黄祖は樊城で孫堅を食い止める予定でしたが、あっさり敗北。漢水を渡って襄陽城に逃げ込みます。
孫堅も漢水を渡り、襄陽城を包囲しました。
劉表は黄祖に、「城を抜け、兵士を徴用してもどってくるよう」命じます。
黄祖はいわれたとおりに兵を集めてきましたが、もどってきたところを孫堅が待ち伏せていました。
孫堅に討ち破られた黄祖は、峴山に逃げ込みます。それを追ってきた孫堅を、隠れていた黄祖の部下が矢で射たところ、見事に命中。
こうして孫堅は命を落としたのです。
子の孫策も似たようなところがありますね。
孫策の代になっても、黄祖との戦いは続きます。毎年のように、定期的に黄祖への攻撃がおこなわれました。
黄祖はいくさで負けることはあっても、うまく逃げのびて討ち取られることはありませんでした。
やがて孫策がひとりで外出したとき、恨みを持つ者たちに矢を射られて死去します。
孫家の血なんでしょうかね。とにかくこうして孫策の代でも、黄祖を討つことはかないませんでした。
父・孫堅のかたき討ちが果たせたのは、孫権の代になってからです。
黄祖の配下に甘寧がいたことは、甘寧の回でも述べました。甘寧は黄祖のもとに3年いたのですが、ずっと冷遇され続けていたのです。しかも黄祖は甘寧の食客を引き抜き、自分の手下にしていました。
孫権が攻めてくると、黄祖は甘寧を出陣させました。甘寧はここで凌操を射殺すという大功を果たしましたが、それでも待遇は変わりませんでした。
都督の蘇飛は「甘寧を重用するよう」何度も訴えましたが、黄祖は耳を貸しません。
そこで蘇飛は甘寧を邾県の県長に推挙し、黄祖のもとを離れさせたのです。「邾県で好きな主君に仕え、大志を成し遂げるよう」甘寧にいいました。こうして甘寧は孫権に仕えることになったのです。
孫権がふたたび黄祖を攻めたとき、その先鋒を務めたのは凌操の子・凌統でした。凌統は呂蒙と協力して江夏城を攻め落とします。
敗れた黄祖は逃走しましたが、孫権の騎兵であった馮則に討ち取られてしまいました。「三国演義」では甘寧が黄祖を討ち取っていますね。
今回はそんな黄祖の能力を見ていきましょう。
基本ステータスについて
統率:76
武力:67
知力:55
政治:45
魅力:32
主義:我道
政策:墨守研究(Lv3)(都市があたえる反撃ダメージが増加)
親愛武将:劉表
嫌悪武将:甘寧
むしろこのステータスで防げていたのがすごい気もします。「運」というステータスがあればかなり高いんじゃないかと。
それとステータス自体はシリーズ通してこんな感じです。武力は『三國志7』~『三國志8』の72が最高でしたしね。
個性について
堅牢:所属都市に所在していると、都市が攻められたさい、反撃ダメージが増加。
功名:命令設定で、追撃「不可」、事後命令「退却」が選択不可。
強欲:自身の俸禄が増加。
都市の守りに特化した形ですね。
陣形と戦法
雁行、方円、投石
「投石」があるので、都市攻めのサポートさせてもいいかもしれませんね。
連弩:ダメージ+「足止」付与。対拠点可。
牽制:敵の攻城+破城ダウン。
駆逐:ダメージ。
強襲:ダメージ+「混乱」付与。
荊州武将だけあって、水上戦もできますね。
「連弩」「牽制」など、こちらも守備用戦法です。守り向きの武将でしょう。
総評
黄祖は孫呉3代を相手していたわりに、ステータス的にはごく一般の戦闘ユニットです。
「駆逐」「強襲」があるので水上戦もこなせないことはありません。
都市の反撃ダメージをアップさせる「堅牢」や、「足止」付与の「連弩」、敵の攻城・破城をダウンさせる「牽制」があるので守りに使っていくのがいいでしょう。
次回は黄祖の主君である劉表を予定しています。
↓次回出来ました。