『三國志14』武将能力:呂蒙の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その22】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第22回目は、周瑜・魯粛の意志を引き継いだ呉の柱・呂蒙(りょもう)についてお届けします。前回の魯粛は以下のリンクから。
人物について
呂蒙、字は子明(しめい)。豫州・汝南郡の人です。
姉の夫の鄧当が孫策に仕えており、しばしば山越討伐をおこなっていました。
呂蒙はまだ15~16歳でしたが、鄧当の賊退治にこっそりついていきました。鄧当にバレてしかりつけられても、呂蒙は帰ろうとしません。
家にもどったあと、母親からもしかられましたが、
「いつまでも貧しい身に留まるわけにはいきません。手柄を立てることができれば富貴が得られるのです。虎の穴に入らないかぎり、虎の子は得られません」
といいました。母親はこれを聞き、それ以上なにもいいませんでした。
鄧当のもとにいた役人が、年端もいかない呂蒙を馬鹿にしたことがありました。呂蒙はその役人を斬り殺して逃走。そののち自首したところ、この件が孫策の耳に入りました。
孫策は呂蒙を呼び出し、その非凡さを知ると、側近として召し抱えました。
鄧当が亡くなったのちは、張昭の推薦によってその役目を引き継ぎます。
孫権の代になると、呂蒙は黄祖討伐の先陣を切って陳就を討ち取りました。
あるとき、孫権は呂蒙と蒋欽に書を読むように勧めます。
呂蒙は最初「忙しいから無理です」と嫌がっていましたが、孫権の強い勧めによって学問を始めました。
すると飽きることなく読書に熱中しはじめました。ついには、並みの儒学者では太刀打ちできないほどの量の書物を読んだといいます。
魯粛ですら、呂蒙と議論をするといいまかされそうになりました。魯粛はその呂蒙を評して「呉下の阿蒙にあらず」といいました。もはや呉でヤンチャをしていたころの呂蒙ではないという意味です。
これに対して呂蒙は、「士たるもの、三日会わずにいれば、見違えるほど変わっているもの」と答えました。
呂蒙の名を最大ならしめたのは、やはり関羽を捕らえて荊州を奪還したことですね。しかしまもなく病床に着き、年末に病死してしまいました。42歳でした。
「三国演義」だと関羽の亡霊に殺されていますね。死期からしても、当時から関羽の呪いの話はあったのかもしれませんね。
今回はそんな呂蒙の能力を見ていきましょう。
基本ステータスについて
張飛も知力アップがありましたが、呂蒙のばあいは武力以外すべて上がっていますね。
ステータスアップ前も統率82・武力81ありますから、武将としては強いです。
親愛武将も多いので、連携が取りやすいです。
個性について
水戦:大河で自ユニットの全能力が上昇。
一心:自ユニットが攻撃を受けたさいに士気が低下しにくくなる。
胆力:一定兵数以下で自ユニットの全能力が上昇。
築城:自ユニットの罠や施設の建設速度が上昇。
規律:自ユニット、太守として所在する拠点が「混乱」にならない。
呉の柱ですので、当然「水戦」持ちです。
また「一心」「胆力」があるので、なかなか倒すことのできないユニットになるでしょう。
陣形と戦法
魚鱗、鶴翼、長蛇、衝車
「衝車」持ちなので、強い武将がほかにいれば都市攻めに使いたいところです。
修文練武:ダメージ+味方の攻軍アップ。
鯨波:味方の破城アップ+敵の攻軍ダウン。対拠点可。
足止:「足止」付与
衝車:耐久ダメージ。対拠点可。
駆逐:ダメージ。
強襲:ダメージ+「混乱」付与。
軍師っぽくない感じですね。
「修文練武」もダメージ技で、攻軍アップによってさらなるダメージを望むことができます。ただ施設に対しては効果がないので、都市攻めのときは「鯨波」を使いたいところですね。
総評
呂蒙は、シナリオ「漢中争奪戦」以前と以降で能力が大きく変わってきます。
ただ「漢中争奪戦」以前でも、武官としては十分に戦えるユニットになっています。
ユニットタイプとしても武官らしく「修文練武」「駆逐」「強襲」などのダメージ技を持っています。
また「一心」「胆力」の相乗効果により、兵力低下時の全能力アップや士気低下がしにくくなることから、なかなか倒れないユニットになるでしょう。
能力のバランスもよく、さまざまな状況で戦える武将といえます。
次回は夏侯淵を予定しています。
↓次回出来ました。