『三國志14』武将能力:麋芳の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その141】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第141回目は、麋竺の弟で蜀から呉へ寝返った麋芳(びほう)についてお届けします。前回の麋竺は以下のリンクから。
人物について
麋芳、字は子方(しほう)。兄の麋竺とおなじく、東海郡・朐(く)県の人です。
資産家の家系で、麋竺とともに徐州の陶謙に仕えていました。陶謙が亡くなると、やはり兄とともに劉備に仕えることになります。
劉備が曹操のもとに身を寄せると、麋芳は曹操から彭城の相に任じられています。これは兄が嬴郡の太守に任じられたことによる「ついで」みたいなものですね。
劉備が蜀を平定したのちは、麋芳は荊州の南郡太守に任じられました。ここからは、兄とは違う人生を歩み始めます。
荊州を統治していたのは関羽でした。麋芳と公安の守将・傅士仁は、日ごろから「関羽に軽んじられている」と不満に思っていました。
関羽が樊城の包囲を始めると、麋芳らは兵糧などを送るだけで、兵を出して手助けするようなことはしませんでした。
この事態に関羽は怒り、
「いくさが終わったら、やつらを始末してやる」
といっていました。
当事者である麋芳らも、当然関羽を恐れていました。
一方、呉の孫権は、この機会に関羽を討とうと考えていました。
麋芳らが関羽に不満を持っていることを知ると、使者を出して寝返るよう誘います。このあたりの顛末には諸説ありますが、こうして麋芳らは関羽を見限り、呉についてしまったのです。
呉においては、麋芳は賀斉の配下となり、魏に寝返った晋宗を討伐しています。
しかし呉の虞翻からは敵視されていました。
虞翻が船に乗って出かけたとき、麋芳の乗る船と出会いました。
麋芳のほうには多くの人が乗っていて、先導している者が水路を開けてもらうため、
「将軍の船を避けよ」
と虞翻の船に向かって命じました。
これに腹を立てた虞翻は、
「忠義も守れないのに、なにが将軍だ!」
と言い返します。
麋芳は船の中にいたのですが、返答をせず、急いで虞翻の船を避けるよう命じました。
また虞翻が車に乗って出かけたとき、麋芳の軍営の門が閉まっていました。虞翻はこれを見て腹を立て、
「城門を閉めるべきときに開けて降伏しておきながら、開けるべきときに閉めるとはどういうことだ!」
とどなりました。麋芳はこれを聞いて顔を赤くしたといいます。
正史のほうでは、これ以上の情報はありませんね。
『三国演義』のほうでは、劉備が関羽のかたき討ちに呉を討伐したとき、麋芳は傅士仁とともに呉の馬忠を殺し、蜀へ戻ろうとしました。
しかし劉備は2人を許さず、みずから斬り殺しています。
今回はそんな麋芳の能力について見ていきましょう。
基本ステータスについて
統率:54
武力:61
知力:31
政治:23
魅力:18
主義:名利
政策:三令五申(Lv2)(訓練担当官による士気の上昇量が増加)
親愛武将:傅士仁
嫌悪武将:関羽
じつは、シリーズ1のころは武力85ありました。
『三國志2』以降から一気に60台にまで落ち、それが現在まで続いている形ですね。
個性について
富豪:所属都市に所在していると、収入時に決まった額の金を追加獲得。
小心:命令設定で、敵接近時「攻撃」、自主退却「不可」、追撃「許可」が選択不可。
優柔:自ユニットが「足止」にかかっている期間を延長。
麋竺の弟ですし、富豪の家の子ですからね。それ以外はバッド個性になっています。
陣形と戦法
魚鱗
選択肢はないので、「魚鱗」をつかうほかありませんね。
業火:発火。対拠点可。
知力が低いので、使いにくくはありますね。
総評
麋芳は、兄の麋竺とは違って武官タイプの武将です。
知力・政治・魅力は低く、かといって統率・武力もそれほど高くはありません。戦闘用の個性もありませんし、むしろ「小心」「優柔」といったバッド個性があります。
陣形は「魚鱗」のみ、戦法も「業火」のみと、ある意味はっきりしているともえます。人手が足りないときにでも出陣させるといいでしょう。
次回は劉備の夫人となった麋氏を予定しています。【追記】次回出来ました。