『三國志14』武将能力:許劭の評価は?【三国志武将評価シリーズ・その161】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第161回目は、人物評価で名高い許劭(きょしょう)についてお届けします。前回の傅士仁は以下のリンクから。
人物について
許靖の次にやろうと思っていたのですが、前回急遽傅士仁の回になったことから、一つとんで今回になりました。
それもあとで話しましょう。
許劭、字は子将。「許子将」の名でも知られています。汝南郡・平輿県の人です。
18歳のころ、謝子微という人物評価に優れた者から「桀物」だと評価されました。
それ以降、許劭はさまざまな賢人を評価して見出し、出世させています。子どものうちから才能を見出された者もおり、その数は数えきれないほどといわれます。
従兄の許靖のほうも、人物評価で名をあげていました。しかし2人の仲はあまりよくありませんでした。
許劭は許靖とともに、毎月「月旦評」という人物評価会を開いていました。
この会の影響力はかなり大きく、ここで評価されれば出世し、評価されなければ没落するというほどだったといいます。
曹操や袁紹など、名だたる英傑たちも、許劭の評価を重んじていました。袁紹は許劭からの批判を恐れ、派手な装いをしなくなったといいます。
また曹操は無名のころ、橋玄から許劭のもとへ行くよういわれています。
曹操は自分がどんな人間なのかを許劭にたずねたところ、許劭は、
「治世にあっては能臣、乱世にあっては姦雄」
と答えました。これを聞いて、曹操は笑って喜びました。
許劭は汝南郡の太守である徐璆(じょきゅう)に取り立てられ、功曹になりました。
このことにより、汝南では、暴虐の者は追放され、清廉の士が役所に満ちたといいます。
しかし許劭は、許靖を推挙することはしませんでした。そのため許靖は馬磨きをして生計を立てていました。
戦乱になると、許劭は揚州へと移ります。ここでは劉曄を「時の君主を補佐する才能がある」と評価しました。
やがて許劭は豫章で亡くなります。享年46歳でした。
子には許混がいて、魏の時代に名を挙げたとのことです。
そういう点は問題あるとは思いますけど、人間味があるともいえますね。
今回はそんな許劭の能力を見ていきましょう。
基本ステータスについて
すでにお気づきの方も多いとは思いますが、『三國志14』では許劭は登場しません。画像はオリジナルで作成したものです。
ただ適当に作成したわけではなく、これまでのシリーズで登場してきたときのステータスを反映させて作ってみました。
それとイラストの人物も適当に選んだわけではなく、シリーズで登場したときのイラストに似せたものを利用しています。そこそこ似ているとは思います。
ゲーム中に許劭を加えたい方は参考にしてください。ちなみに許劭は『三國志』シリーズの5、7、8、9、11で登場します。
統率:16
武力:11
知力:74
政治:76
魅力:79
主義:礼教
政策:太学(Lv3)(配下武将の経験獲得量が上昇)
嫌悪武将:許靖
シリーズでは統率・武力は低いので、それに従いました。
知力については、初登場の『三國志5』では94もあったのですが、それ以降は70台なので、平均あたりの74としています。
政治に関しては60~70台なのですが、政治力自体はありそうなので70台説を取り入れて76としています。
魅力に関しては、60~80台とけっこうバラツキがあるので、80に届かない79ぐらいといったところで。
嫌悪武将は許靖ですね。
個性について
名声:地域担当官に任命すると土地占領が拡大。捕虜になったときの身代金が増加。
人脈:登用、探索にかかる日数が短縮。
眼力:登用、探索で優遇。
許靖の個性に「眼力」を足した形になっています。
陣形と戦法
方円
戦う気はないので、文官が得意とする「方円」にしました。
無し。
許靖とおなじく、戦法は当然「無し」です。
総評
今回登場させたのは、許靖とセットで語りたかったというのがあります。たまにはこんな回があってもいいかと。
本作では残念ながら登場しませんでしたが、せっかく新武将を作成する機能もあるので、登録しておくのもいいとは思います。
ただ今後、パワーアップキットが発売されたときに許劭が加わる可能性もあるので、そのときはそのときでまた記事を書く予定です。
次回は陳羣を予定しています。【追記】次回出来ました。