『三國志14』武将能力:譙周の評価は?【三国志武将評価シリーズ・その251】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第251回目は、陳寿が師事していた蜀の学者・譙周(しょうしゅう)についてお届けします。前回の陳寿は以下のリンクから。
人物について
譙周、字は允南(いんなん)。巴西郡・西充国の人です。
幼くして父親を失い、家は貧しかったといいます。しかし譙周は寝食も忘れるほど学問にはげみ、書簡や天文に通じていました。
建興年間、諸葛亮は丞相と益州牧を兼任すると、譙周を召し出して勧学従事に任じました。
諸葛亮が初めて譙周と会ったとき、譙周の容貌を見たまわりの臣下たちが皆吹き出したといいます。
譙周が退出したのち、所管の役人が笑った者の処罰を願い出ましたが、諸葛亮は、
「私でさえ我慢できなかったのだ。まわりの者が笑ったのは仕方がないだろう」
といいました。
諸葛亮が亡くなり、蒋琬がそのあとを継ぐと、譙周は典学従事に転任し、益州の学者を取り仕切ることとなります。
劉禅が長男の劉璿(りゅうせん)を太子に立てると、譙周は太子僕となり、そののち太子家令に転任しました。
劉禅は頻繁に遊覧に出かけたり、宮中の楽員を増やしたりしていたので、譙周はこれを諫めています。
また姜維の北伐によって民が疲弊していることから、陳祗と討論を交わし、それを『仇国論』としてまとめました。
のちに光禄大夫に昇進し、九卿に次ぐ地位となりました。政務にたずさわることはありませんでしたが、その学識や品行によって礼遇され、なにかあれば意見を求められました。
やがて魏の鄧艾が攻めてくると、劉禅らは南方へ逃げるべきかどうかを討論しました。
譙周は「呉がまだ降伏していないことから、いま降伏すれば礼遇される」といい、劉禅に降伏を決心させました。こうして蜀は滅びます。
司馬昭は譙周の功績を上奏し、陽城亭侯に封じて召し出しました。
譙周は出発するも、漢中に至ったときに重病にかかって動けなくなります。
巴郡の文立が譙周を訪問すると、譙周は司馬昭の死期を予言し、それが当たりました。
司馬炎が帝位に就くと、何度も詔を出して譙周を召し出します。
譙周は病の身で車に乗り、洛陽へと向かいました。病気が治らなかったので辞令を出し、爵位と封土をすべてお返ししたいと申し出ましたが、許されませんでした。
咸煕5年(269年)、前回も書きましたが、陳寿が休暇で帰る前に譙周のもとを訪れます。
譙周は「次の年を迎えることはないので、もう君とは会えなくなるだろう」といい、翌年の冬に亡くなりました。陳寿は、譙周が自分の死期を予言していたのだと書いています。
後世では、劉禅に降伏をすすめたことから、売国奴扱いされたりしていますね。降伏したことで、君主と民の命を守れたともいえますが。
今回はそんな譙周の能力を見ていきましょう。
基本ステータスについて
統率:3
武力:3
知力:65
政治:71
魅力:52
主義:名利
政策:太学(Lv3)(配下武将の経験獲得量が上昇)
親愛武将:陳寿、杜瓊
嫌悪武将:姜維、諸葛亮
完全に「学者」といったポジションなのでしょう。政務にかかわっていませんしね。
知力は『三國志5』で86まで行きましたが、そこからはどんどん下がっていってしまってますね。
個性について
占術:所属都市に所在していると災害が起こらなくなり、豊作が起きやすくなる。
学者:君主と自分の主義がおなじばあい、毎ターン主義経験値を獲得。
小心:命令設定で、敵接近時「攻撃」、自主退却「不可」が、追撃「許可」が選択不可。
降伏をすすめたことで、小心者あつかいになっているのかもしれませんね。
陣形と戦法
雁行
なんにしろ、統率・武力はともに3ですしね。
無し。
学者ですから、戦う必要もないでしょう。
総評
譙周は文官タイプの武将です。しかし史実で政務にかかわっていないことからか、知力65・政治71と能力値はあまり高くはありません。
個性としては「占術」「学者」があり、とくに「占術」は豊作が起きやすくなる効果があるので、兵糧不足に陥りやすいゲーム序盤においては役に立つでしょう。
統率・武力は3なので、内政で役立てていきましょう。
次回は羅憲です。