『三國志14』武将能力:韓馥の評価はいかに?【三国志武将評価シリーズ・その108】|三国志14
『三國志14』三国志武将評価シリーズの第108回目は、袁紹に冀州をゆずった冀州牧・韓馥(かんふく)についてお届けします。前回の辛憲英は以下のリンクから。
人物について
韓馥、字は文節(ぶんせつ)。豫州・潁川郡の人です。
もとは御史中丞でしたが、董卓の推挙で冀州の牧となりました。
冀州は人口も多く、兵糧もじゅうぶんで、裕福な土地でした。
当時、袁紹は渤海郡の太守を務めていました。韓馥は袁紹が攻め込んでくることを恐れ、数人の従事を派遣して袁紹を監視させます。
まもなくして、東郡の太守・橋瑁(きょうぼう)は三公の公文書を偽造し、州郡に「打倒董卓」の檄をとばしました。
袁紹と董卓が対立していたことから、韓馥はどちらかに付かなければなりません。そこで皆に相談したところ、治中従事の劉子恵が、
「いま兵を挙げるのは、国家のためです。まずは人をやって他の州の動きを見守り、行動を起こす者がいれば、そのあとに続くのがよいでしょう」
と提案しました。
韓馥はもっともだと思い、袁紹に書簡を送って董卓の悪事を伝え、挙兵を認めました。そして韓馥自身もこれに加わります。
本作のシナリオにもなっていますね。曹操も袁紹に協力しています。
しかし董卓の力は思いのほか強く、また連合の諸侯たちもそれぞれに思惑があったことから、軍事行動がなかなかうまくいきませんでした。
一番の問題は、董卓が献帝を擁しているということです。これに歯向かうことは「逆賊」となってしまいます。
そこで袁紹と韓馥は共謀して、漢王室の血統である幽州の牧・劉虞を天子(皇帝)に立てようとしました。
曹操は、新たな天子を勝手に立てることには反対していました。献帝に罪はなく、これを交代させてしまっては、天下から批判を受けることになります。
一方の劉虞も、天子になることを強く拒否していました。
けっきょく袁紹と韓馥は、新たな天子を擁立することはできませんでした。
こののち韓馥は安平に駐留しましたが、公孫瓚に撃破されてしまいます。
袁紹配下の逢紀は、この状況を利用して、韓馥に冀州をゆずらせる策を提案します。公孫瓚に書簡を出して冀州を襲わせ、その一方で韓馥に利を説いて冀州を袁紹にゆずらせるのです。
公孫瓚は「打倒董卓」の名目で、冀州への侵攻を始めました。
韓馥が怯えたところにつけこみ、袁紹は配下の荀諶(じゅんしん。荀彧の兄弟)らを送りこみます。そして「公孫瓚に対抗するには、袁紹に冀州をゆずるしかない」ことを説きました。
韓馥はみごとに説得され、
「わたしは昔、袁氏の役人を務めていた。それに、才能も袁紹にはおよばない。徳のある者に位をゆずるのは、古人が尊重していることだ」
といって冀州をゆずることを決めたのです。部下に反対する者がいましたが、韓馥は聞き入れませんでした。
こうして袁紹は、冀州の牧になったのです。
ところが、袁紹の部下になった朱漢という者が、以前韓馥に冷遇された恨みから、袁紹に気に入られるために、韓馥を殺しに向かいました。もと冀州牧が存在することが、袁紹にとって不都合だと思ったのでしょう。
韓馥は、朱漢の率いる兵に屋敷を取り囲まれます。韓馥は逃げることができましたが、長男は捕らえられて両足を折られてしまいました。
これを知った袁紹は、すぐさま朱漢を捕らえて処刑しました。
しかし韓馥は袁紹が信じられなくなり、そのもとを去って張邈のもとに身を寄せたのです。
のちに、張邈のもとに袁紹の使者がやってきて、張邈に耳打ちしました。
それを見た韓馥は怖れ、席を立って厠へ行き、自殺してしまいました。
今回はそんな韓馥の能力を見ていきましょう。
基本ステータスについて
統率:18
武力:3
知力:27
政治:63
魅力:59
主義:礼教
政策:戸籍整備(Lv2)(募兵担当官による兵士の上昇量が増加)
親愛武将:張邈
政治・魅力は60前後なので使えなくもありませんが、総合的には低いですね。
ちなみに1のころは武力51・知力53で、そこからどんどん評価が落ちていった流れです。
個性について
小心:命令設置で、敵接近時「攻撃」、自主退却「不可」、追撃「許可」が選択不可。
優柔:自ユニットが「足止」にかかっている期間を延長。
評価が低い武将になっていますね。
陣形と戦法
方円
ある意味、韓馥の性格をあらわしているといえるでしょう。
無し。
戦う気がそもそもないのでしょう。公孫瓚との戦いも避けましたしね。
総評
韓馥は総合能力が低く、戦法もなく、戦闘ユニットとしては厳しいです。
また個性も「小心」「優柔」のみです。
政治はかろうじて63ありますので、人手の足りないところの内政を手伝わせるのがいいでしょう。
次回は劉虞を予定しています。
↓次回出来ました。