『信長の野望・新生』武将能力:榊原康政の評価は?【武将評価シリーズ・その84】

2023年4月29日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

sakakibara yasumasa

『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第84回目は、徳川四天王の榊原康政(さかきばらやすまさ)です。

小平太ニャ。これで全員出揃ったのニャ。

そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の酒井忠次は以下のリンクから。

 

人物について

榊原康政は天文17年(1548年)、榊原長政の次男として生まれました。幼名は 於亀・亀丸、通称は小平太です。

家康が今川家の人質になった時期に、年齢の近い康政は家康の小姓となっています。以降、「三河一向一揆」などで家康に付き従い、武功を立ててきました。康政の「康」も家康から一字をもらったものですね。

織田信長が「本能寺の変」で明智光秀に討たれたとき、家康とその家臣団は堺の見物をしていました。

光秀の襲撃を恐れ、家康らは命がけの逃亡をはかります。

いわゆる「神君伊賀峠越え」ニャ。

康政ら家臣団は家康を守り、なんとか三河に帰還しました。たったの30余人ほどで、途中、落ち武者狩りを200人ほど倒したといわれています。

強いのニャ。

豊臣秀吉と家康が戦った「小牧・長久手の戦い」では、康政は秀吉の織田家のっとりを非難する檄文を書きました。激怒した秀吉は、康政の首に10万石の褒賞を出したといわれます。

しかし家康との和睦後、秀吉は康政をゆるし、「従五位下・式部大輔」の官位と豊臣姓を授けました。

さすが人たらしニャ。

「関ヶ原の戦い」においては、康政は家康の子・徳川秀忠に従っていたことで、関が原への到着に遅れました。これにより、家康から叱責をうけています。老中にはなりましたが、所領の加増はありませんでした。

そして関が原の6年、慶長11年(1606年)に亡くなりました。享年59歳だったといいます。

 

基本ステータスについて

統率:85
武勇:82
知略:84
政務:67
主義:中道

バランスがとれている感じニャ。

政務以外は80台と、悪くはありませんね。

「革新」「天道」あたりだと統率が90ありましたが、本作ではおさえられた形になっています。

 

戦法・特性について

(戦法)
急襲:敵部隊の兵力減少。

(特性)
一所懸命:同一城に属す全軍で領内行動の集落掌握速度が上昇。

反攻:城が強襲されたときに攻城部隊へのダメージ増加。

馬術:自部隊の騎馬LV上昇。

サポート系という感じニャ。

「一所懸命」持ちなので、うまくつかっていくといいでしょう。

 

総評

榊原康政は戦闘バランスのよい武将です。

統率・武勇・知略は80台あります。

また「一所懸命」「反攻」持ちなので、攻め・守りにうまくつかっていきましょう。

他の四天王とともにがんばるのニャ。

次回は宇喜多直家です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。