『信長の野望・新生』武将能力:徳川家康の評価は?【武将評価シリーズ・その3】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第3回目は、織田信長・豊臣秀吉と続いて、戦国三英傑の最後の1人である徳川家康です。
秀吉の死後、豊臣氏を滅ぼして江戸幕府を開きました。忍耐の人としても知られていますね。
それでは家康の能力を見ていきましょう。前回の秀吉は以下のリンクから。
人物について
徳川家康の幼名は竹千代といいます。
三河の松平広忠の嫡男として、天文11年(1543年)に生まれました。
6歳のころ、尾張の織田信秀(信長の父)のもとで2年間、人質として暮らしていました。創作においては、このときに信長と親交があったという話がよく出てきますが、それを裏付ける史料はありません。
父の死後、今川義元は竹千代を人質交換で取り戻し、その身を駿府に移します。
元服後は今川義元から「元」の字を賜って松平元信と名乗りますが、そののちに祖父・松平清康から「康」の字を賜り松平元康と名乗ります。
永禄3年(1560年)、「桶狭間の戦い」では、今川義元の先鋒として織田軍に当たりました。そこそこ功績があったのですが、今川義元が討たれてしまったので、このチャンスに三河で独立することにしました。
翌年には、信長と清州同盟を結びます。今川氏とは縁を切りました。
永禄6年(1563年)、今川義元から賜った「元」の字を返上し、元康から「家康」になりました。
永禄9年(1566年)には松平から「徳川」に改姓します。
元亀3年(1572年)、信長包囲網に加わった甲斐の武田信玄が、家康の領土に攻め込んできます。
家康は「三方ヶ原の戦い」で武田信玄に当たるも惨敗。恐怖のあまり、脱糞して浜松城に退却しました。
敗戦の自戒として、狩野探幽に描かせた「徳川家康三方ヶ原戦役画像」ですが、実際のところ、脱糞エピソードを裏付けるものがなく、また絵のほうも後世に描かれたものともいわれています。
「本能寺の変」で信長が亡くなり、秀吉が織田氏の実権を握りはじめると、家康は信長の次男・織田信雄と手を組んで、秀吉に反旗を翻します。「小牧・長久手の戦い」の結果、信雄は秀吉と和睦してしまい、講和条件として家康の次男・於義丸(結城秀康)を人質に送ることとなりました。
それからいろいろあって、家康は大阪城で秀吉に臣従を表明します。
秀吉の死後、政権運営をめぐって石田三成らと対立。慶長5年(1600年)に「関ヶ原の戦い」が勃発します。この戦いに勝利し、慶長8年(1603年)には征夷大将軍に任命されました。
それからは「大坂冬の陣」「大坂夏の陣」で大阪城を攻め、豊臣氏を滅ぼします。
こうしてめでたく天下を統一し、75歳のころに亡くなりました。
実際、天ぷらを食ったのは亡くなる3カ月前だったので、直接の死因ではないかとは思います。胃がんだったという説もありますね。
家康の打ち立てた江戸幕府は、約260年間という長期政権が続くこととなりました。
基本ステータスについて
統率:99
武勇:87
知略:90
政務:98
主義:革新
本作の知略は、城に対する攻撃力に当たりますので、これぐらいでいいんじゃないでしょうか。
統率は信長とおなじ99、他はすべて信長に劣りますね。
筆者的には、政務は信長より高くていいとは思いますけどね。政治力で勝ったような人ですしね。
ちなみに「革新」「天道」あたりは政治力100ありましたね。
戦法・特性について
(戦法)
三河魂:自部隊の攻撃力上昇、敵部隊の攻撃力低下。
(特性)
三河武士:部隊長のとき、相性◎の部下の数だけ防御上昇。
古狸:大名のとき、他勢力が従属しやすくなる。
自衛:自勢力内では自部隊の防御上昇。
「三河武士」や「自衛」など、防御力重視といった感じですね。
ちなみに家康は、三河武士に対しては、身内意識が強いことや手柄争いばかりすることから、あまり良くは思っていなかったという話もあります。
年少のころに過ごした駿府のほうが性に合っていたかもしれません。
信長の死後は、人事を刷新して三河の重臣を遠ざけ、井伊直政や本多正信などを重用します。外国人の三浦按針までつかっていましたしね。
「古狸」では他勢力が従属しやすくなるとのことですが、そもそもの従属条件を満たさないといけない問題があるので、たやすくはないですね。
なんにしろ基本能力が高いですし、「三河魂」で敵の攻撃力を下げることでダメージを減らせるので、防御力を活かしたたたかいをするのがいいとは思います。
総評
統率99、武勇87と戦闘ステータスも高めで、「三河武士」「三河魂」「自衛」と、敵のダメージを減らすスキルも持っています。
防御力の高さは、長期戦になると活きてくるでしょう。
家臣も優秀な人材が多いので、プレイしやすい大名とは思います。
ただ信長の領土がすぐ隣というのが厳しいですね。
うまく機会をうかがって、攻めるときに攻めるという戦い方がいいかと思います。
次回は武田信玄です。【追記】次回できました。以下のリンクから。