『信長の野望・新生』武将能力:井伊直政の評価は?【武将評価シリーズ・その31】

2023年2月13日ゲーム評価信長の野望・新生武将評価シリーズ

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『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第31回目は、徳川四天王の一人である井伊直政(いいなおまさ)です。

「井伊の赤鬼」ニャ。ひこにゃんニャ。

彦根の英雄としても知られていますね。

そんなわけでさっそく能力を見ていきましょう。前回の井伊直虎は以下のリンクから。

 

人物について

井伊直政は永禄4年(1561年)、井伊直虎のもと婚約者である井伊直親と、奥山朝利の娘・ひよとのあいだに生まれました。幼名は「虎松」。詳しくは前回の井伊直虎を参照してください。

井伊直親は今川氏真に仕えていましたが、謀反の疑いをかけられて自害させられてしまいます。

このとき、直政はわずか2歳でした。

井伊直虎は出家していましたが、井伊家断絶を防ぐために還俗。井伊家の当主となり、今川氏に命を狙われていた直政をひきとります。

しかし直虎が城主をつとめる井伊谷城は今川氏に奪われ、直政も命を狙われることとなりました。

直虎は直政を鳳来寺にあずけます。また直政の母・ひよも、徳川家臣の松下清景と再婚することで、直政を松下家の養子としました。

みんなで直政を守ったのニャ。

やがて、徳川家康の助けを借りて井伊谷城を奪い返した直虎は、直政を城で保護します。

そして天正3年(1575年)、15歳になった直政は、徳川家康の小姓として仕えました。また名を虎松から「万千代」に改めています。

徳川家臣になったのニャ。

初陣は天正4年(1576年)、武田勝頼軍が相手でした。このときの功績で3千石の知行をあたえられます。

天正7年(1579年)、直政は「高天神城の戦い」において、本多忠勝榊原康政らとともに先鋒をつとめ、高天神城の奪還を果たします。

ビッグネームとの共闘ニャ。

本能寺の変で織田信長が亡くなったのち、家康は旧武田領の混乱を治め、その遺臣たちを懐柔します。そして直政に、武田家の「赤備え」を継承するよう命じました。

それで鎧が赤いのニャ。武田家から引き継がれたのニャ。

家康と豊臣秀吉がぶつかり合う「小牧・長久手の戦い」においては、直政は鬼の角のようなもののついた兜をつけ、長槍で暴れまわりました。

この勇猛なたたかいぶりから「井伊の赤鬼」と呼ばれるようになります。

本当に強そうニャ。

関ヶ原の戦い」においては福島正則が先陣を切る予定だったのを出し抜いて、自らが一番槍となります。

また西軍が退却をはじめると、島津義弘軍を追跡して島津豊久を討ち取っています。

「ドリフターズ」の人ニャ。

戦後は石田三成の旧領である近江国佐和山(滋賀県彦根市)18万石を与えられ、慶長7年(1602年)に亡くなります。関ヶ原の戦いの最中に受けた鉄砲傷がもととなったともいわれます。享年42でした。

彦根の英雄ニャ。角兜はひこにゃんに受け継がれたのニャ。

ひこにゃんの兜デザインは直政がもとになっていますね。

 

基本ステータスについて

統率:87
武勇:92
知略:83
政務:81
主義:革新

全体的に高いニャ。さすが彦根の英雄ニャ。

武勇は92、他のステータスも80以上あります。

なんでもこなせる武将といったところですね。

 

戦法・特性について

(戦法)
井伊の赤鬼:敵部隊の兵力減少・機動低下。

(特性)
攻勢:自部隊の攻撃上昇。
用兵:敵部隊を挟撃中、自部隊の攻撃上昇。
馬術:自部隊の騎馬LV上昇。

井伊の赤鬼」ニャ。固有スキル持ちニャ。

特別扱いされている武将というのがわかりますね。

特性の方も「攻勢」「用兵」「馬術」と戦闘に特化したものになっています。

 

総評

井伊直政は戦場での戦いに長けた武将です。統率は87、武勇は92もあります。固有戦法「井伊の赤鬼」や、戦闘に適した特性も持っています。

また知略83・政務81と頭も切れる人物で、内政・外交面でも活躍していけるでしょう。

マルチタレントの武将ニャ。

次回は島津豊久です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。