『信長の野望・新生』武将能力:伊達成実の評価は?【武将評価シリーズ・その63】

2023年4月1日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

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『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第63回目は、「武」で伊達政宗を支えた伊達成実(だてしげざね)です。

伊達家の「知」の次は「武」なのニャ。

そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の片倉小十郎(景綱)は以下のリンクから。

 

人物について

伊達成実は永禄11年(1568年)、伊達実元の嫡男として生まれました。幼名は時宗丸

母は実元の異母兄であり伊達政宗の祖父である伊達晴宗の娘・鏡清院です。

なんかややこしい家系なのニャ。

政宗の父・伊達輝宗は、成実が元服するときの烏帽子親となっています。

天正12年(1584)、政宗が家督と継ぐと、成実も同年に家督を継ぎます。

佐竹氏・蘆名氏らの連合軍との戦い「人取橋の戦い」においては、総崩れする伊達軍を助けるため、成実が踏みとどまって敵を食い止めます。この活躍により、政宗から「比類なき武功」と称されました。

以降、政宗が奥羽の覇者となるまで、成実は軍事面で政宗を支えます。

天正18年(1589)、豊臣秀吉から政宗に、小田原城攻めに協力するよう命じられます。

このとき、片倉小十郎は秀吉に従うことを政宗にすすめましたが、成実は「ここで天下に優劣を争うほうがいい」といい、意見が対立しました。

小十郎とは逆なのニャ。さすが武闘派ニャ。

最終的に政宗は小十郎の言葉を聞き、小田原へと向かいます。成実はその留守を任されました。

朝鮮出兵にも参加しましたが、その後の文禄4年(1595年)、突然伊達家を出奔してしまいます。

急にどうしたのニャ。

理由はよくわかっていませんが、伊達家でのあつかいが悪かったという説があります。

慶長5年(1600年)、「関ヶ原の戦い」が起こると上杉景勝徳川家康から家臣になるよう誘われましたが、これを断っています。同年、小十郎らの説得により、ふたたび伊達家に戻りました。

成実は亘理城をあたえられ、「大坂の陣」にも参戦しています。成実は亘理城下の開発に力を入れ、大いに発展させました。

正保3年(1646年)に死去。享年79歳でした。亘理の発展に貢献したことで、明治12年(1879年)には亘理神社で神として祭られました。

死後は神様になったのニャ。

 

基本ステータスについて

統率:86
武勇:93
知略:82
政務:50
主義:革新

武勇93ニャ。なにげに知略も80以上あるのニャ。

戦闘に関してはバランスが良いですね。

過去作では「風雲録」では政務76ありましたが、本作では50と低めになっています。

内政で神になったのに50は低いニャ。

 

戦法・特性について

(戦法)
激励:自部隊の攻撃上昇。

(特性)
血気:合戦で積極的に部隊攻撃を行う。

作事:城下施設の建設効率上昇。

竜騎兵:自部隊の騎馬LV・鉄砲LV上昇。

政務が低いのに、なにげに「作事」持ちニャ。

ここは亘理への貢献が評価されていますね。

 

総評

伊達成実は武勇に長けた猛将です。

武力は93あり、統率・知略も80以上あります。

政務は50と低いですが、「作事」持ちなので内政でも使えるでしょう。

伊達家を武の面で支えるのニャ。

次回は佐竹義重です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。