『信長の野望・新生』武将能力:伊達成実の評価は?【武将評価シリーズ・その63】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第63回目は、「武」で伊達政宗を支えた伊達成実(だてしげざね)です。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の片倉小十郎(景綱)は以下のリンクから。
人物について
伊達成実は永禄11年(1568年)、伊達実元の嫡男として生まれました。幼名は時宗丸。
母は実元の異母兄であり伊達政宗の祖父である伊達晴宗の娘・鏡清院です。
政宗の父・伊達輝宗は、成実が元服するときの烏帽子親となっています。
天正12年(1584)、政宗が家督と継ぐと、成実も同年に家督を継ぎます。
佐竹氏・蘆名氏らの連合軍との戦い「人取橋の戦い」においては、総崩れする伊達軍を助けるため、成実が踏みとどまって敵を食い止めます。この活躍により、政宗から「比類なき武功」と称されました。
以降、政宗が奥羽の覇者となるまで、成実は軍事面で政宗を支えます。
天正18年(1589)、豊臣秀吉から政宗に、小田原城攻めに協力するよう命じられます。
このとき、片倉小十郎は秀吉に従うことを政宗にすすめましたが、成実は「ここで天下に優劣を争うほうがいい」といい、意見が対立しました。
最終的に政宗は小十郎の言葉を聞き、小田原へと向かいます。成実はその留守を任されました。
朝鮮出兵にも参加しましたが、その後の文禄4年(1595年)、突然伊達家を出奔してしまいます。
理由はよくわかっていませんが、伊達家でのあつかいが悪かったという説があります。
慶長5年(1600年)、「関ヶ原の戦い」が起こると上杉景勝や徳川家康から家臣になるよう誘われましたが、これを断っています。同年、小十郎らの説得により、ふたたび伊達家に戻りました。
成実は亘理城をあたえられ、「大坂の陣」にも参戦しています。成実は亘理城下の開発に力を入れ、大いに発展させました。
正保3年(1646年)に死去。享年79歳でした。亘理の発展に貢献したことで、明治12年(1879年)には亘理神社で神として祭られました。
基本ステータスについて
統率:86
武勇:93
知略:82
政務:50
主義:革新
戦闘に関してはバランスが良いですね。
過去作では「風雲録」では政務76ありましたが、本作では50と低めになっています。
戦法・特性について
(戦法)
激励:自部隊の攻撃上昇。
(特性)
血気:合戦で積極的に部隊攻撃を行う。
作事:城下施設の建設効率上昇。
竜騎兵:自部隊の騎馬LV・鉄砲LV上昇。
ここは亘理への貢献が評価されていますね。
総評
伊達成実は武勇に長けた猛将です。
武力は93あり、統率・知略も80以上あります。
政務は50と低いですが、「作事」持ちなので内政でも使えるでしょう。
次回は佐竹義重です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。