『信長の野望・新生』武将能力:豊臣秀吉の評価は?【武将評価シリーズ・その2】

2022年7月28日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

hideyoshi

『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第2回目は、織田信長のあとを継いで天下を統一した豊臣秀吉です。

『太閤立志伝』だと主人公ニャ。

秀吉については、「信長に忠実だった」という説がある一方、「本能寺の変は秀吉の謀略」みたいな説もあり、いろいろな解釈のある人物ですね。

それでは秀吉の能力を見ていきましょう。前回の信長は以下のリンクから。

 

人物について

豊臣秀吉の父親は尾張の木下弥右衛門ですが、その実像は謎に包まれています。貧民であったとか、農民であったとか、大工であったとか、商人であったとか、諸説入り混じっていますね。

それで秀吉の出自もよくわからないのニャ。

生まれた年も、は天文5~6年(1536~1537年)とあまりはっきりしません。

通説では、秀吉の父の死後、母の竹阿弥と再婚しました。秀吉は竹阿弥との折り合いが悪く、天文19年(1550年)に家を出ることとなります。

『太閤素性記』では、15歳のときに父の遺産をもらいうけ、針売りをしながら各地を旅していたという話もありますね。

針売り設定は、創作分野でけっこう使われているのニャ。

天文23年(1554年)には織田信長に仕え、その才能と人たらしの技術でメキメキと出世していきます。草履を温めた逸話は有名ですね。このころは木下藤吉郎と名乗っていました。

永禄4年(1561年)にはねねと結婚。

永禄9年(1566年)には美濃との戦いで、墨俣に一夜城を建設した逸話がありますが、当時の史料には存在せず、のちに作られた話だと思われます。

そういう伝説はけっこう多いのニャ。

美濃の斎藤氏に勝利したのちは、竹中半兵衛(重治)を「三顧の礼」で部下にします。

元亀元年(1570年)、朝倉義景討伐戦においては、金ヶ崎で浅井長政の裏切りによって挟み撃ちにあった信長を、秀吉は明智光秀らとともにしんがりをつとめて退却を成功させます。

世にいう「金ヶ崎の退き口」ニャ。

元亀3年(1572年)には、丹羽長秀・柴田勝家に取り入るために、二人の一字ずつもらって羽柴氏に改めました。

天正9年(1581年)には信長の命により、中国の毛利輝元を攻めます。

そして運命の翌年、天正10年(1582年)――。

1582(イチゴパンツ)年ーーもとい「本能寺の変」ニャ。

秀吉は、清水宗治の守る高松城を水攻めしましたが、本能寺で信長が自害したとの報告が入ると、清水宗治の切腹を条件に毛利輝元と講和。急ぎ京都へ引き返しました。

中国大返し」ニャ。

本能寺の変が6月2日で、光秀との「山崎の戦い」の戦いが6月13日なので、事件発生から10日ぐらいで戻ってきたことになります。

しかも信長の訃報を知ったのは6月3日~4日にかけてなので、秀吉は信長の死後1日で情報を知ったことになりますね。

そのため、いくらなんでも速すぎるということで、ここから「秀吉が黒幕説」も生まれています。

たしかに情報が速いニャ。

「山崎の戦い」で光秀をやぶった秀吉は、その勢いで京都を支配することとなります。

同年6月27日には、清州城で信長の後継者を決める会議が開かれました。

清須会議」ニャ。

柴田勝家は信長の三男・織田信孝を推しましたが、秀吉は信長の嫡男であり、本能寺の変でなくなった織田信忠の長男・三法師(織田秀信)を推します。

結果、当時まだ3歳の三法師が、信長のあとを継ぐこととなりました。

3歳じゃ政治はできないニャ。操り人形確定ニャ。

以降、柴田勝家との対立は深まります。

天正11年(1583年)、秀吉は柴田勝家との「賤ヶ岳の戦い」に勝利。柴田勝家は自害し、織田信孝も自殺に追い込まれ、秀吉は織田家の実権を握ることとなりました。

同年、秀吉は大阪城を築きます。築城指揮には黒田官兵衛(孝高)を当たらせました。

ここでやっとクロカンの名が出たニャ。

天正12年(1584年)、信長の次男・織田信雄徳川家康が手を組み、秀吉に反旗を翻しました。

小牧・長久手の戦い」ニャ。

いくさの結果、信雄は秀吉と講和。家康は次男・於義丸(結城秀康)を人質に送ることで決着が付きました。

ここから怒涛の天下統一事業がはじまります。

翌年には四国の長宗我部元親をやぶって四国を平定。天正14年(1586年)に正親町天皇から豊臣姓を賜り、太政大臣に就任します。

天正15年(1587年)には島津義久を下して九州を平定。

天正17年(1589年)には小田原征伐で北条氏政をやぶり、関東一帯を平定。さらに翌年には奥羽の平定を完了させて、天下統一を果たします。

秀吉は「惣無事令」で大名同士の争いを禁止し、太閤検地刀狩令で統治を強固にしていきます。

晩年には朝鮮出兵をおこないますが、そのさなかに病死してしまいました。

晩年は手を広げ過ぎた感があるのニャ。

 

基本ステータスについて

統率:96
武勇:81
知略:98
政務:96
主義:革新

知略は信長より高いけど、それ以外は劣化信長ニャ。

しかしこの能力が、信長陣営にいるということが強みですね。部下でしたら、早めに出世させたほうがいいでしょう。出世をサポートする特性もありますしね。

知略が高いということは、城攻めのダメージが高いということでもあります。

特性の「城乗」も合わせて、城攻めで活かしていきたいところです。

ちなみに過去作では武勇が70台、統率が80台というのが多かったのですが、本作ではかなり強化されたステータスになっていますね。「烈風伝」だと戦闘59、「革新」だと武勇65ぐらいしかありませんでした。

「大志」だと、「統率95、武勇80、知略97、内政 95」なので、本作ではすべて1ずつ上がっていることになりますね。

本作は強化状態だったのニャ。

 

戦法・特性について

(戦法)
千成瓢箪:自部隊の体力回復・機動上昇。

(特性)
人たらし:配下武将の忠誠上昇、最高位の能力上昇。

立身出世:自身の勲功の獲得値増加。

城乗:敵城への耐久ダメージ増加。

立身出世」は秀吉の出世をサポートできます。出世しないと城を任せられませんしね。

自分が大名だと意味がないニャ。

その代わりに「人たらし」があるので、人材を多く抱えるばあいには有利ですね。

また前述したように、知略の高さに加え、「城乗」があるので、城攻めで活かしていきたいところです。

 

総評

パラメータは信長レベルの高さがあり、とくに知略は98と高いので、「城乗」と合わせて城攻めで活かしていきましょう。

「桶狭間の戦い」シナリオで信長プレイをするばあいは、さっさと出世させて、城を任せるのがいいでしょう。

城攻めキャラなのニャ。しかし信長の部下は強い武将が多すぎニャ。

主人公ですしね。初心者が遊びやすいようにするというのも重要とは思います。

本作だと能力だけでなく、武将の数も重要になってきますね。信長勢はそのあたりも十分にカバーできています。

次回は戦国三英傑の最後の一人、徳川家康を予定しています。【追記】次回できました。以下のリンクから。