『信長の野望・新生』武将能力:黒田官兵衛の評価は?【武将評価シリーズ・その14】

2023年2月13日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

kanbee kuroda

『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第14回目は、豊臣秀吉の名参謀・黒田官兵衛です。

クロカンニャ。中国大返しニャ。

大河ドラマ「軍師官兵衛」で一時ブームにもなっていましたね。

そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の今川義元は以下のリンクから。

 

人物について

黒田官兵衛は天文15年(1546年)、黒田職隆の嫡男として姫路で生まれました。幼名は万吉といいます。

「官兵衛」は通称で、諱は祐隆(すけたか)→孝隆(よしたか)→孝高(よしたか)と変わっていきました。

また号として「如水(じょすい)」があります。

戦国武将は名前が多いのが面倒ニャ。三国志のほうが覚えやすいニャ。

14歳のときに母が亡くなり、それから学問にのめり込んだといいます。

永禄10年(1567年)に家督を継ぎ、櫛橋伊定の娘・(てる)を正室としました。翌年には嫡男の黒田長政が生まれています。

ちなみに官兵衛は側室を持たなかったことから、愛妻家といわれています。

天正3年(1575年)、官兵衛は主君・小寺政職に、勢いのあった織田信長への臣従を進言します。自ら使者として信長のもとへ出向き、名刀「へし切り長谷部」を授かりました。

有名な刀ニャ。

天正5年(1577年)、信長の中国征伐に、官兵衛は戦法として参加します。5百の兵で5千の敵を退けるなどの活躍をしました。

しかし翌年、荒木村重を寝返らせようと単独で交渉に出かけたところ、捕らえられてしまいました。

信長は官兵衛が裏切ったと勘違いし、嫡男の長政を殺そうとします。しかし秀吉の参謀である竹中半兵衛が長政をかくまったことで、殺されずにすみました。

官兵衛は一年半幽閉されたのちに救出されました。長期の監禁によって、足が不自由になってしまったといいます。

また官兵衛がかぶっている綿帽子ですが、「幽閉時に皮膚病で頭髪が抜け落ちたのを隠すため」ともいわれています。

そうだったのニャ。

運命の天正10年(1582年)、明智光秀の反乱により、本能寺で信長が自刃しました。

これを知った官兵衛は、中国攻めをおこなっていた秀吉に中国大返しを献策します。

御運が開けましたな」ニャ。

そののちの、秀吉の天下統一事業を、官兵衛はいくさの方面で支えていました。

大阪城の設計を担当したり、四国で長宗我部元親を降伏させたり、九州平定で島津氏相手に戦ったりと、多方面での活躍を見せています。

秀吉が亡くなったのち、時世を見た官兵衛は徳川家康側につきます。

「関ヶ原の戦い」では東軍となり、九州の平定を進めていました。しかし官兵衛に野心はなく、家康に臣従します。家康は官兵衛を福岡藩の藩主に任じました。

最期の仕事として、官兵衛は福岡城の築城をおこないます。しかし城の完成を見ることはなく、59歳で亡くなりました。

多彩な人物だったのニャ。

 

基本ステータスについて

統率:87
武勇:78
知略:98
政務:84
主義:革新

知略98ニャ。

毛利元就(知略100)や竹中半兵衛(知略99)には劣りますが、上位の高さです。おなじ知略98には豊臣秀吉と尼子経久がいます。

ちなみに過去作だと、「烈風伝」から「天下創世」までは知略が80台と低めでした。「革新」以降から急にステータスが上がった感じですね。

本作での知略は城への攻撃能力なので、次に紹介する特性「方円の器」でこの攻撃力を上げることができます。城への攻撃力は高いですね。

統率・武勇も高いので、戦闘にも積極的に参加させられる武将です。

 

戦法・特性について

(戦法)
水の如し:自部隊の体力回復。敵部隊に混乱付与。

(特性)
方円の器:敵城を包囲したときの耐久ダメージ増加。

策謀:特殊な調略具申が可能。

砲術:自部隊の鉄砲LV上昇。

黒田官兵衛の攻城能力をさらに向上させる特性「方円の器」があります。城を落とす速度アップになるので、城攻めに率先して参加させるのがいいでしょう。

水の如し」は混乱付与に加えて体力回復ができるので、攻め手を継続させるのに便利とは思います。

これらは官兵衛の名言「四角な器にも円い器にも水は器に応じて入る」から来ていますね。

官兵衛の特技である「築城スキル」も欲しいところでした。

 

総評

知略の高さと、「方円の器」の特性によって、城攻めを捗らせることができます。

城攻めに参加させたい武将ですね。

統率・武勇も平均以上ですし、戦闘でも活躍していけるでしょう。

城攻めのエキスパートニャ。

次回は竹中半兵衛です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。