『信長の野望・新生』武将能力:竹中半兵衛の評価は?【武将評価シリーズ・その15】

2023年2月13日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

hanbee takenaka

『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第15回目は、前回の黒田官兵衛と並ぶ名軍師・竹中半兵衛(たけなかはんべえ)です。

二兵衛」ニャ。「今孔明」ニャ。

戦国時代の諸葛孔明ともいわれていますが、実際のところ後世につくられた逸話が多く、実際にどうなのかという部分がありますね。

そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の黒田官兵衛は以下のリンクから。

 

人物について

竹中半兵衛は天文13年(1544年)、美濃の大御堂城城主・竹中重元の子として生まれました。

黒田官兵衛とおなじく「半兵衛」は通称で、諱は重虎(しげとら)→重治(しげはる)です。

弘治2年(1556年)、斎藤道三と、その嫡男・斎藤義龍の内紛「長良川の戦い」が起こると、半兵衛は道三に味方して義龍を退けました。しかしいくさは、最終的には義龍が勝利します。

戦国時代は親子でも対立するのニャ。

父・重元の死後、半兵衛は菩提山城主となり、斎藤義龍に仕えます。義龍の死後は、その子の斎藤龍興に仕えました。

織田信長はこれを機にと、美濃へ攻め込んできます。このとき、半兵衛の戦術によって侵略を防いだといわれます。ここで使ったのが「十面埋伏陣」ですね。

三国志ニャ。

しかし肝心の主である斎藤龍興は、酒色に溺れて政治を顧みませんでした。

馬鹿殿ニャ。

半兵衛はこれを諫めるために、稲葉山城を17人の家臣だけで制圧し、斎藤龍興を城から追い出してしまいます。

そして半年ほど立てこもったのちに、城を龍興に返して隠棲しました。

しかし稲葉山城は結局、永禄10年(1567年)に信長にとられてしまいます。

半兵衛は美濃を去り、浅井長政のもとへ身を寄せますが、一年ほどで辞めてまた隠棲しました。

基本的に働きたくないタイプなのニャ。

信長は半兵衛を手に入れるため、木下秀吉(豊臣秀吉)に命じて「三顧の礼」で迎え入れたといいます。

半兵衛は秀吉の才能を見抜き、信長には仕えず、秀吉に仕えることとなりました。

永禄13年(1570年)、浅井・朝倉連合軍との「姉川の戦い」においては軍師をつとめ、敵の攻撃を防いでいます。

天正元年(1573年)の「小谷城の戦い」では、浅井長政の妻であるお市とその娘たちの救出策を秀吉にさずけました。

信長の中国攻めがはじまると、半兵衛は黒田官兵衛とともに、秀吉を補佐して戦場を渡り歩きます。

官兵衛は荒木村重を寝返らせようと有岡城へ向かい、捕まって一年半ほど幽閉されてしまいました。

前回の話ニャ。

信長は官兵衛が寝返ったと思い、その息子の黒田長政を殺すように命じます。

半兵衛は官兵衛が無罪だと考え、長政をかくまいました。しかし官兵衛に会う前に、半兵衛は亡くなってしまいました。享年36歳です。

若いのニャ。

有岡城が落ち、官兵衛の身柄を取り戻せたのは、死後4カ月ほど経ってからです。

官兵衛は息子を助けてくれたことを感謝し、竹中家の家紋を貰い受けたといいます。

 

基本ステータスについて

統率:85
武勇:70
知略:99
政務:59
主義:革新

今孔明」なわりに、知略は99なのニャ。

知略100毛利元就に持っていかれましたしね。

過去作でも知略が90ちょいのときが多かったりと、そこまで高い武将ではありませんでした。

あと統率85、武勇70なので、野戦がちょっと弱いかなとは思います。

ただ、次で述べる全体バフの「鳳凰」や、挟撃時に攻撃力アップの「用兵」があるので、うまくつかうといいでしょう。

一番の問題は、寿命が短いことですね。

 

戦法・特性について

(戦法)
十面埋伏:敵部隊に混乱付与・防御低下。

(特性)
鳳凰:周辺部隊の能力を上昇させるが、病気になりやすい。

用兵:敵部隊を挟撃中、自部隊の攻撃上昇。

策謀:特殊な調略具申が可能。

「鳳凰」の能力がひどいニャ。「病気になりやすい」ってなんなのニャ。

文字のとおりですね。

もともと病弱キャラなので、戦闘に出しまくっていると死にやすくなります。

「キャプテン翼」の三杉淳みたいなのニャ。

全体バフ能力なので、戦闘サポートに上手く使っていきましょう。

 

総評

知略は99と高いですが、統率85・武勇70なので、野戦は一級武将には劣ります。

全体バフの「鳳凰」や、挟撃時に攻撃力が上がる「用兵」を上手く使っていくといいでしょう。

やはり一番の問題は寿命の短さなので、それまでに最大限使い切ってしまうのがいいでしょう。

ひどいニャ。

次回は斎藤道三です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。