『信長の野望・新生』武将能力:鈴木重秀(雑賀孫一)の評価は?【武将評価シリーズ・その58】

2023年3月20日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

suzuki sigehide

『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第58回目は、織田信長を追い詰めた雑賀衆の鈴木重秀(雑賀孫一)(すずきしげひで(さいがまごいち))です。

日本のシモ・ヘイヘニャ。

戦国時代の伝説のスナイパーみたいな感じですね。

そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の蒲生氏郷は以下のリンクから。

 

人物について

鈴木重秀は出自など不明で、謎の多い人物です。雑賀衆の有力者が継承する「雑賀孫一(鈴木孫一)」の別称で呼ばれていたといわれます。

信長と本願寺勢力が戦った「石山合戦」において、重秀は本願寺側に味方し、鉄砲部隊の大将として信長を苦しめました。信長の足に銃弾を受けて負傷したといわれます。

信長に一撃あたえたのニャ。

また雑賀衆は毛利水軍とともに、大坂湾への一斉攻撃をおこないました。これにより、信長についていた九鬼水軍を全滅させたといいます。

信長は雑賀衆を先に潰したほうがいいとし、その本拠地を十万の大軍で攻撃。しかし雑賀衆は少数の兵でゲリラ戦を仕掛け、この進撃を撃退しました。

スナイピングで少しずつ敵を減らしていったのニャ。

防衛戦が続く中、肝心の本願寺が天正8(1580)年に信長と和解してしまいます。以降、秀重は信長に接近しました。

その一方で、雑賀衆内での内輪もめがおさまらず、「本能寺の変」で信長が亡くなると、重秀は岸和田城へ難を逃れます。

秀吉徳川家康のあいだで「小牧・長久手の戦い」が起こると、雑賀衆は家康側につきましたが、重秀は秀吉側で参戦しています。

雑賀衆はまとめきれなかったのニャ。

天正13年(1585年)、秀吉は重秀のかつての仲間たちがいる紀州攻めを敢行。重秀は降伏勧告の使者となり、太田城を開城させます。

以降、重秀は息子を人質として秀吉に差し出しました。

反乱の意がないことを示したのニャ。

このあとどうなったかについては不明です。

 

基本ステータスについて

統率:84
武勇:96
知略:82
政務:30
主義:保守

武勇が96もあるのニャ。

信長を苦戦させていたことがかなり評価されていますね。

統率・知略も80以上あり、かなりの高ステータスになっています。

過去作だと「革新」「天道」では武勇99で、統率・知略も90以上と、かなりめぐまれたステータスでしたね。

 

戦法・特性について

(戦法)
八咫烏:敵部隊の兵力減少・体力低下。

(特性)
海神:水上での攻撃上昇。

射手:合戦で積極的に高所から射撃。

砲術:自部隊の鉄砲LV上昇。

固有スキル持ちニャ。

「八咫烏」は重秀の家紋ですね。

「射手」「砲術」はもちろんのこと、水上戦スキル「海神」もあります。

 

総評

鈴木重秀は戦闘に長けた武将です。

武勇は96あり、統率・知略も80以上あります。野戦・攻城と活躍できるでしょう。

また固有スキル「八咫烏」や、水上戦スキル「海神」もあり、いろいろな場面で力を発揮できるでしょう。

スナイパーの力を見せるのニャ。

次回は本願寺顕如です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。