『信長の野望・新生』武将能力:藤堂高虎の評価は?【武将評価シリーズ・その22】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第22回目は、生涯多くの主君に仕えた藤堂高虎(とうどうたかとら)です。
仕えた主君は没落していますので、最後まで生き残れたのは先見の明があったともいえます。
そういわれればそうなんですけどね。
この時代、大名は企業のようなものなので、「転職を繰り返して有名企業を転々と渡り歩けた」と思えば、この人物が優秀ともいえます。
それ以外でも築城能力で評価されていて、黒田官兵衛(孝高)、加藤清正とともに「築城3名人」ともいわれています。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の柴田勝家は以下のリンクから。
人物について
藤堂高虎は弘治2年(1556年)、近江国の土豪・藤堂虎高の次男として生まれました。幼名は与吉。
最初に仕えたのは浅井長政です。
織田信長・徳川家康の連合軍を相手にした「姉川の戦い」で初陣を飾り、敵将を討つ手柄を立てました。
浅井長政が信長に滅ぼされたのち、高虎は浅井氏の旧臣・阿閉貞征に仕えます。
しかしいざこざがあって阿閉貞征のもとを離れ、次はおなじく浅井氏の旧臣・磯野員昌のもとに身を寄せます。
それから信長の甥・織田信澄に仕えるも、またいざこざでそのもとを離れます。
身を落ち着けたのは、豊臣秀吉の弟・羽柴秀長(豊臣秀長)に仕えてからですね。
秀長のもとで、中国攻めや四国攻めに参加して武勲を上げています。
天正19年(1591年)に秀長が死去すると、養子の羽柴秀保(豊臣秀保)に仕えます。
しかし秀保は17歳で亡くなってしまい、高虎は高野山に出家してしまいました。
高虎の才を惜しんだ秀吉は、ふたたび呼び戻して還俗させ、朝鮮出兵などに参加させました。
秀吉の指揮が近づくと、高虎は家康に接近します。関ヶ原の戦いでは東軍について、石田三成らと戦いました。
大坂の陣では徳川側で参戦し、長宗我部盛親と「八尾の戦い」で矛を交えています。
家康の死後も徳川家に仕え、74歳で亡くなりました。
基本ステータスについて
統率:82
武勇:80
知略:88
政務:88
主義:革新
武将としての能力値は高く、内政から戦争までオールラウンドにこなせますね。
過去作だと智謀や政務が90台になっていたり、武勇が60台だったりした時期も多かったのですが、今作では平均的にまとめてきた形になっています。
戦法・特性について
(戦法)
足止:敵部隊の機動低下。
(特性)
乾坤:合戦で積極的に退き口を攻撃。
城乗:敵城への耐久ダメージ増加。
修繕:所属城の耐久自然回復嶺上昇。
「城乗」「修繕」で攻守ともに城関係ですね。
固有スキルが欲しかったですね。
総評
藤堂高虎は能力値はすべて80台で、内政から戦争まで幅広くこなせる武将です。
戦法や特性はぱっとしないところがありますが、陣営にいれば役に立つ武将なので上手く使っていくのがいいでしょう。
次回は加藤清正です。【追記】次回出来ました。下のリンクから。