『信長の野望・新生』武将能力:柴田勝家の評価は?【武将評価シリーズ・その21】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第21回目は、「かかれ柴田」「鬼柴田」で知られる織田信長陣営の主力武将・柴田勝家(しばたかついえ)です。
気が短そうな感じはありますね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の浅井長政は以下のリンクから。
人物について
柴田勝家の出自は諸説あり、柴田勝義の子といわれています。幼名は権六。
信長の父・織田信秀にその才能を見出され、若くして仕えることとなります。
信秀が亡くなったのちは、信長の異母弟・織田信勝(織田信行)の家老となります。
信長は奇行がめだち、「大うつけ」と呼ばれていた一方、信勝は礼儀正しかったことから、勝家は林秀貞と共謀して、信勝を後継者にしようとします。
弘治2年(1556年)、勝家は「稲生の戦い」で信長と戦うも敗北。
信長の実母・土田御前の懇願により、信勝らは許されました。
しかし弘治3年(1557年)、信勝がふたたび反乱をたくらみます。
勝家はこれを事前に信長に密告しました。
信長は病気と偽って信勝を清州城に誘い出し、そこで殺してしまいます。
信勝の嫡子・津田信澄は、勝家が養育することとなりました。
以降、勝家は信長の信頼を得、織田家の重臣となります。
勝家は「桶狭間の戦い」などいくさにおいてめざましい活躍を見せ、
「木綿藤吉(豊臣秀吉)、米五郎左(丹羽長秀)、掛かれ柴田に、退き佐久間(佐久間信盛)」
と謳われるようになりました。
「本能寺の変」で信長が亡くなると、その後継者をめぐって「清須会議」がおこなわれます。
ここで秀吉は信長の孫・三法師(織田秀信)を、勝家は信長の三男・織田信孝を推挙します。
結果、丹羽長秀の支持もあり、秀吉の案が採用されることとなりました。
また領土の再分配においても秀吉が有利なようになされたのです。
しかし秀吉は、勝家を懐柔するため、信長の娘であり元浅井長政の妻であるお市を、勝家に嫁がせました。
こうして勝家を油断させ、秀吉は勢力拡大をつづけます。
やがて両陣営は天正11年(1583年)、「賤ヶ岳の戦い」でぶつかりあいます。
戦いに勝利したのは秀吉。勝家はお市とともに自害してしまいました。
ただお市の3人の連れ子は城を脱出させ、長女の茶々(淀殿)は秀吉の側室となります。
前回も述べたように、次女の初は京極高次の正室に、江は徳川秀忠(江戸幕府2代目将軍)と結婚し、徳川家光(江戸幕府3代目将軍)を生みました。
ちなみに辞世の句、
「夏の夜の 夢路はかなき あとの名を 雲井にあげよ 山ほととぎす」
は有名ですね。
基本ステータスについて
統率:90
武勇:94
知略:80
政務:66
主義:保守
パラメータ的には高めの武将ですね。信長陣営の層の厚さが伺えます。
しかも勝家の場合、次で述べる「瓶割り」「攻勢」もあるため、実際の攻撃力はさらに高いですね。
戦法・特性について
(戦法)
かかれ柴田:敵部隊の兵力減少、自部隊の攻撃上昇。
(特性)
瓶割り:敵部隊を撃破すると、一定時間自部隊の攻撃上昇。
攻勢:自部隊の攻撃上昇。
血気:合戦で積極的に部隊攻撃を行う。
いろいろ考えるのも大変ですしね。
「瓶割り」「攻勢」は自部隊の攻撃力を上昇させてくれますので、パラメータ以上の攻撃力になります。
どんどん敵を撃破しつつ、突き進んでいくのがいいでしょう。
総評
全体的に能力値は高く、戦争用の武将としては優れています。
特性に「瓶割り」「攻勢」といった攻撃バフもありますし、戦法も「かかれ柴田」も攻撃バフなので、うまくつかっていくといいでしょう。
次回は藤堂高虎です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。