『信長の野望・新生』武将能力:山本勘助の評価は?【武将評価シリーズ・その47】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第47回目は、武田信玄の軍師である山本勘助(やまもとかんすけ)です。
あまりいい意味では使われない言葉ですね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の本多小松は以下のリンクから。
人物について
山本勘助の出生については諸説あり、謎の多い人物とされています。その生涯は後世の創作ともいわれています。
勘助はおよそ二十歳のころから武者修行で全国を渡り歩き、兵法を極めました。
そして36歳のころ、今川義元に仕官しようとしましたが、背が低く色黒・隻眼で、体も不自由であったことから断られてしまいます。
しかし兵法家としての名声は武田信玄のもとまで伝わり、知行200貫で召し抱えられました。
天文15年(1546年)、信玄は村上義清の戸石城を攻めます。しかし村上軍の反攻にあって苦戦。そこを勘助の見事な采配で持ち直し、村上軍を討ち破ったのです。こうして武田家の中で勘助は認められていくのでした。
敗れた村上義清は、上杉謙信を頼ります。こうして信玄と謙信の長きにわたる「川中島の戦い」が開幕しました。
そしてもっとも大きな戦いとなった「第4次川中島の戦い」において、上杉軍は妻女山に布陣をします。
ここで勘助が信玄に献策。「軍を二手にわけ、片方で妻女山を襲撃。上杉軍が八幡原へ逃げたところを本隊で叩く」という策です。キツツキが木をつっつき、驚いて跳び出した虫を食べることに似ているため、「啄木鳥戦法」の名がつけられました。
ところが作戦を実行し、高坂昌信・馬場信春らの兵を妻女山に向かわせたところ、すでにもぬけの殻。謙信は、兵士たちが暑さにまいっていたことから、早々に山を下りてしまっていたのです。
しかも山を下りたところで、ばったりと信玄の兵とぶつかってしまったため、そのまま戦いが始まってしまいました。
勘助は責任を感じ、自ら敵軍へ突入して壮絶に玉砕しました。享年69歳だったといいます。
ちなみに「ヤマカン」という言葉の語源が「山本勘助」という説もありますが、「山師の勘」という説もあり、どちらが正しいかは不明です。
基本ステータスについて
統率:83
武勇:69
知略:96
政務:68
主義:保守
政治的な駆け引きはうまくなかったということなのかもしれませんが、低めに設定されていますね。「天下創世」では政治が27だったりします。
知略も過去作では80台だったり90台だったりと、あまり安定しない感じではあります。
戦法・特性について
(戦法)
啄木鳥:敵部隊の兵力減少・混乱付与。
(特性)
乾坤:合戦で積極的に退き口を攻撃。
用兵:敵部隊を挟撃中、自部隊の攻撃上昇。
策謀:特殊な調略具申が可能。
実際のほうは成功していませんでしたけどね。
「用兵」「策謀」など軍師っぽいスキルもあり、勢力をサポートしていけるでしょう。
総評
山本勘助は軍師タイプの武将です。
知略は96あり、統率も83ありますので、野戦・攻城で活躍できるでしょう。
また「啄木鳥」のユニークスキルや、「策謀」「用兵」スキルもあるので、軍をうまくサポートしていきましょう。
次回は山中鹿之介です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。