『信長の野望・新生』武将能力:真田信之の評価は?【武将評価シリーズ・その45】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第45回目は、真田幸村の兄で徳川家康に仕えた真田信之(さなだのぶゆき)です。
父・昌幸や弟・幸村に比べると知名度は低めですが、優秀な武将ではありました。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の真田昌幸は以下のリンクから。
人物について
真田信之は永禄9年(1566年)、真田昌幸(当時は武藤喜兵衛)の長男として生まれました。
信之(当時は信幸)は、主君である武田家に人質として出されます。
しかし天正10年(1582年)、織田信長・徳川家康の連合軍に武田家が滅ぼされると、信之は母・山手殿とともに父・昌幸のもとへと難を逃れます。
同年、信長が明智光秀の反乱により、本能寺で命を落とすと、旧武田領をめぐって上杉・徳川・北条があらそうこととなります(天正壬午の乱)。
北条氏と対立したとき、富永主膳が5千の兵を率いて守る手子丸城を、信之はわずか800の兵で落としてしまいました。
戦乱の中、最終的に上杉景勝に従属した昌幸は、対立していた家康との和睦に成功。
家康は信之を気に入り、本多忠勝の娘・小松姫(本多小松)を養女とし、信之の妻としました。
「小田原征伐」ののち、信之はその功績から沼田城主となります。
そして「関ヶ原の戦い」では、昌幸・幸村が西軍についたのに対し、信之は東軍につきました。どちらが勝っても真田家は生きながらえるという昌幸の策です。
「関ヶ原の戦い」後、信之は本多忠勝とともに、父弟の助命をして死罪は許されます。
このとき、父との決別をあきらかにするため、「信幸」を「信之」に改めました。
「大阪の陣」においては、弟の幸村が家康相手に大活躍していた一方、信之は病気を理由に参戦できず、長男・信吉と次男・信政を代わりに出陣させました。
幸村が活躍しすぎたことで徳川家ににらまれることになったものの、公務を積極的にこなして忠誠の態度を見せつづけていました。
元和8年(1622年)には、信濃松代に加増移封され、13万石の所領を得ます。
慶長19年(1614年)に死去。享年93歳でした。
基本ステータスについて
統率:84
武勇:72
知略:86
政務:80
主義:中道
尖ったところはありませんが、なんでもそつなくこなすといった感じですね。
過去作だとステータスが全体的に60~70あたりで、内政型の武将といった感じでしたが、シリーズが進むにつれて戦闘面も評価されてきましたね。
戦法・特性について
(戦法)
罵声:敵部隊の防御低下。
(特性)
城乗:敵城への耐久ダメージ増加。
作事:城下施設の建設効率上昇。
砲術:自部隊の鉄砲LV上昇。
「城乗」は手子丸城攻略のエピソードから来ていますね。
内政スキルもありますし、バランスのいい感じです。
総評
真田信之は能力バランスのよい武将です。
武勇以外はすべて80以上あり、武勇も72あります。
また城攻めスキル「城乗」や、内政スキル「作事」もあるので、戦闘・内政ともに活躍できるでしょう。
次回は本多小松(小松姫/稲姫)です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。