『信長の野望・新生』武将能力:本多小松(小松姫/稲姫)の評価は?【武将評価シリーズ・その46】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第46回目は、本多忠勝の娘で真田信之の妻の本多小松(ほんだこまつ)です。小松姫・稲姫でも知られています。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の真田信之は以下のリンクから。
人物について
本多小松は本多忠勝の娘として、天正元年(1573年) に生まれました。幼名は於子亥(おねい)。小松姫/小松殿/稲姫とも称されています。
天正10年(1582年)、旧武田領をめぐって徳川・北条・上杉の三勢力が争い、そのあいだを真田昌幸がうまく立ち回っていました(天正壬午の乱)。
昌幸は上杉について徳川家康と対立していたものの、最終的には豊臣秀吉の取り持ちで和解します。
家康は真田信之を見定め、本多忠勝の娘を養女にとり、信之の妻としました。
真田家との関係を深めるための政略結婚的なものですね。
信之は沼田城をあずかり、小松姫と仲良く暮らしていました。
秀吉亡きあと、「関ヶ原の戦い」が勃発します。
昌幸と幸村は東軍につきましたが、信之は家康のもとで西軍につきます。ただ病気を理由に参戦はしませんでした。
昌幸が西軍へ参戦する途中、小松姫が留守をあずかる沼田城に立ち寄ろうとしました。理由は「孫の顔が見たいから」だそうです。
ところが小松姫は武装して兵を従え、「いまは敵味方の関係。通すわけにはまいりません」と断固拒否。昌幸は「さすが本多忠勝の娘」と感心したといいます。
その一方で、城下の宿に案内し、丁重にもてなしたともされています。
さらに後日、正覚寺で孫に合わせたという話もあります。
「関ヶ原の戦い」後、信之は信州上田6万石の藩主でしたが、小松姫はそこを通る大名行列から家康への献上品を奪っていました。「親の物は子の物」との理由です。
一方で、昌幸らが九度山に流されたときには、自分は倹約して仕送りをしていたといいます。
元和6年(1620年)、小松姫は病にかかり、武蔵国鴻巣で亡くなりました。享年48歳でした。
基本ステータスについて
統率:80
武勇:73
知略:76
政務:82
主義:革新
信之同様、全方面をそつなくこなせる形になっていますね。
統率も80ありますし、戦場でも活躍していけるでしょう。
戦法・特性について
(戦法)
急襲:敵部隊の攻撃低下。
(特性)
稲光:所属城が交戦中、所属城の城能力が大幅上昇。
鉄壁:所属城の耐久ダメージ減少。
「稲光」「鉄壁」で城の守りを固くすることができますね。拠点の守りとして配置しておくといい感じになります。
総評
本多小松は真田信之同様、バランスのとれた武将です。
統率・政務は80以上あり、武勇・知略も70以上あります。
また「稲光」「鉄壁」といった城の守りを強化するスキルもあるので、拠点防衛にも適しているでしょう。
次回は山本勘助です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。