『信長の野望・新生PK』武将能力:織田長益(有楽斎)の評価は?【武将評価シリーズ・その162】

2023年11月2日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

oda uraku

『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第163回目は、織田信長の弟で、茶人としても知られる織田有楽(長益)(おだうらく(ながます))です。

「有楽斎」で知られてるのニャ。

「信長の野望」シリーズだと「長益」「有楽斎」の時期もありましたね。

そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の織田秀信(三法師)は以下のリンクから。

 

人物について

織田有楽(長益)は天文16年(1547年)、織田信秀の11男として生まれました。兄の信長とは13歳離れています。

「本能寺の変」で信長が亡くなったときには、有楽は信長の嫡男・織田信忠とともに二条新御所にいましたが、脱出して難を逃れました。以降、信長の次男・織田信雄を頼ります。

信長亡きあとの権力争いで、秀吉柴田勝家を下すと、今度は信雄に矛先が向かいます。信雄は徳川家康を巻き込んで、秀吉との「小牧・長久手の戦い」を起こします。

しかしいくさの最中に信雄が単独講和してしまい、家康も秀吉と講和せざるを得なくなりました。有楽はこのときの仲介役として動いています。

秀吉が天下をとると、信雄には家康の領土である三河国があたえられました。しかし信雄は岐阜から動きたくなかったため、改易処分となります。

有楽は巻き込まれたくないため、髪を剃って「有楽」と号し、秀吉に取り入って御伽衆となりました。

基本的に野心はないのニャ。

茶人としては千利休に弟子入りし、「利休十哲」の一人ともされました。

秀吉が亡くなったのち、「関ヶ原の戦い」が起こると、今度は家康側につきます。このときの功績で、大和国に3万2000石の領土を賜りました。

「大坂の陣」においては豊臣側に和睦するよう説得しましたが、聞き入れてもらえず。いくさで豊臣家が滅びると、有楽は京都へ移り住み、茶の道に専念しました。

元和7年(1622年)に死去。享年75歳だったといいます。

趣味に生きることができた人生なのニャ。

 

基本ステータスについて

統率:30
武勇:23
知略:44
政務:61
主義:革新

茶人なので能力低いのニャ。

表舞台でなにかするような人物でもないのでこんなものでしょう。

過去作だと武勇・知略が1桁台だった時期も多かったです。

 

戦法・特性について

(戦法)
治療:自部隊の兵力回復。

(特性)
数奇:家宝をまれに入手。

(家宰)
寄席交流:登用、武将探索成功率上昇、金銭収入減少。

(奉公)
織田伝:天下布武が発令可能、すでに発令可能なら維持費削減。

スキルは「数奇」のみニャ。

戦場で戦うのには向いていませんしね。

 

総評

織田有楽は能力値が低めな武将です。

政務は61ありますが、統率・武勇・知略は50以下になっています。

またスキルも「数奇」だけなので、数合わせで使うぐらいになるとは思います。

茶人は本作で活躍しにくいのニャ。

次回は帰蝶(濃姫)です。【追記】次回できました。以下のリンクから。