『信長の野望・新生PK』武将能力:服部半蔵(正成)の評価は?【武将評価シリーズ・その136】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第136回目は、徳川氏に仕えた「鬼半蔵」こと服部半蔵(正成)(はっとりはんぞう(まさなり))です。
忍者だったのは服部家の初代だけで、一般的に有名な(今回紹介する)2代目以降は忍者ではなく普通に武士だったといわれます。そもそも忍者の頭領でもありませんしね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の片桐且元は以下のリンクから。
人物について
服部半蔵(正成。以下「正成」と表記)は天文11年(1542年)、服部保長(初代服部半蔵)の5男(もしくは6男)として生まれました。
父・保長は徳川家康の祖父・松平清康に仕えていました。
正成は6歳のころに、大樹寺へ送られます。
しかし出家するのが嫌だったようで、3年後には寺から失踪。
以降、姿をあらわしたのは、16歳の時に三河宇土城を夜襲したときです。功績により、家康から盃と持槍を授かりました。
それからは「三河一向一揆」の鎮圧や、「姉川の戦い」「三方ヶ原の戦い」で活躍していきます。
天正7年(1579年)、家康の嫡男・松平信康が織田信長に切腹を言い渡されたときには、その介錯を担当しました。しかし斬ることができず、天方通綱がかわりに介錯をつとめます。
このことから家康に「鬼も主君の子は斬れぬか」と評価されました。ただこれは後世の創作ともいわれています。
天正10年(1582年)、「本能寺の変」のさい、堺に滞在していた家康一行は、「伊賀越え」で三河へ帰還します。
このときの逃亡において、正成の先祖が伊賀出身であったことから、伊賀の土豪らと交渉し、家康の警護をしてもらいました。
天正18年(1590年)、小田原征伐において功績をあげ、8,000石を領します。このときに伊賀同心を統率する立場になったことから、忍者というイメージがついたのでしょう。
慶長元年(1597年)に病死しました。
基本ステータスについて
統率:61
武勇:85
知略:85
政務:45
主義:中道
統率は61と低めですが、武勇・知略は85ありますね。
過去作では統率や智謀が90台の代わりに、政務が1みたいな感じでしたが、いまは普通の武将っぽくなっていますね。
戦法・特性について
(戦法)
鬼半蔵:敵部隊の兵力減少・防御低下。
(特性)
伊忍道:所属城にかかる調略を無効化。
攻勢:自部隊の攻撃上昇。
策謀:特殊な調略具申が可能。
(家宰)
謀攻主義:調略成功率上昇、最大兵力減少。
(奉公)
忍心得:上忍掟が発令可能、すでに発令可能なら維持費削減。
「鬼半蔵」に「伊忍道」と、けっこう特別扱い感はありますね。
「攻勢」もありますし、戦闘につかっていくといいでしょう。
総評
服部半蔵(正成)は戦闘にすぐれた武将です。
統率は61ですが、武勇・知略は85あり、攻城戦でも戦っていけるでしょう。
また「鬼半蔵」「攻勢」などのスキルや、「伊忍道」といった防御スキルもあるのでうまくつかっていきましょう。
次回は風魔小太郎です。 【追記】次回できました。以下のリンクから。