『信長の野望・新生PK』武将能力:斎藤福(春日局)の評価は?【武将評価シリーズ・その167】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第167回目は、江戸幕府3代目将軍・徳川家光の乳母で大奥の基礎を築いた斎藤福(春日局)(さいとうふく(かすがのつぼね))です。
現代だとあまりいい意味にはなっていませんね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の徳川家光は以下のリンクから。
人物について
斎藤福は天正7年(1579年)、斎藤利三の娘として生まれました。
父・利三は明智光秀に仕えていましたが、光秀は「本能寺の変」で主君・織田信長に反逆。利三もこれに加わったことから、のちに中国大返しをしてきた秀吉に敗れて処刑されてしまいます。
まだ3歳だった福は家族とともに難を逃れ、各地を転々としていました。母方の親戚の公家・三条西公国を頼ったときに教養を身に着けたといいます。
やがて小早川秀秋に仕える稲葉正成の後妻となりました。
しかし「関ヶ原の戦い」後、小早川秀秋が亡くなると、跡継ぎのいない小早川家は改易されてしまいます。稲葉正成は牢人となり、農業で食いつないでいました。
慶長8年(1603年)、徳川秀忠が嫡男・徳川家光の乳母を募集します。福がこれに応じたところ、公家の教養があったことから採用されたといわれます。ただ採用に際して、夫の稲葉正成とは離婚しました。理由は不明です。
ただ乳母就任後に、稲葉正成は2万石の大名として返り咲いていますので、離婚は形式的なものだったのかもしれません。稲葉正成との子の稲葉正勝も小田原藩の大名となっています。
のちの将軍の乳母ということで栄華の道が開けたと思った矢先、家光である母・お江は、家光の弟・徳川忠長(松平忠長)のほうを溺愛します。これによって忠長が家督を継ぐのではないかとの話も出てきました。
事態を重く見た福は、徳川家康に直訴します。家康は長幼の序を正しくするよう秀忠に命じたことから、家光の家督相続が確定しました。
お江が亡くなると、福は権力を発揮し始めます。家光が将軍職に就くと、福は大奥をとりしきるようになりました。大奥の役職や制度を制定し、幕府内の一大権力となります。
寛永6年(1629年)、後水尾天皇から「春日局」の名号を賜ります。
寛永20年(1643年)に死去。享年64だったといいます。大奥制度は江戸幕府が滅びるまで続きました。
基本ステータスについて
統率:56
武勇:42
知略:68
政務:76
主義:中道
大奥を率いていたからでしょうか。パラメータ的には徳川家光に近いものがありますね。
戦法・特性について
(戦法)
同討:敵部隊の兵力減少。
(特性)
自衛:自勢力内では自部隊の防御上昇。
(家宰)
重商主義:市の商業上昇、農村の石高減少。
(奉公)
守城奉行:城郭普請の維持費削減。
外交スキルはあってもいいような気はしました。
総評
斎藤福は文官タイプの武将です。
政務は76、知略は68あります。統率も56あるので戦えないほどではありません。
スキルは「自衛」しかないので、防衛戦に使うのがよいでしょう。
次回は千姫です。【追記】次回できました。以下のリンクから。