『信長の野望・新生』武将能力:山中鹿之介(鹿介/幸盛)の評価は?【武将評価シリーズ・その48】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第48回目は、「山陰の麒麟児」として知られる山中鹿之介(やまなかしかのすけ)(幸盛)です。
「鹿介」が正しいのですが、本記事ではゲーム中の表記「鹿之介」で統一します。一般的には「幸盛(ゆきもり)」ですね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の山本勘助は以下のリンクから。
人物について
山中鹿之介は天象4年(1545年)、尼子氏の家臣である山中満幸の子として生まれました。幼名は甚次郎。
父は早くに亡くなったため家は貧しく、また次男であったことから亀井家の養子となります。しかし兄が病弱であったことから山中家に戻って家督を継ぎます。鹿の脇立のついた兜は山中家の家宝で、このときに譲り受けたとされています。またこのときに名前を「鹿介」と改めました。
鹿之介は幼くして尼子氏に仕え、武将としての才能を発揮していました。
16歳のころ、毛利元就との戦いにおいて、尼子義久の伯耆国高尾城攻めに参戦。菊池音八を一騎討ちで討ち取っています。
永禄5年(1562年)には毛利元就が、尼子氏の居城・富田城攻めを本格化させました。
情勢は尼子氏に極めて不利でしたが、この戦いにおいても鹿之介は三面六臂の活躍をしており、多くの敵将を討ち取っています。また吉川元春・小早川隆景の軍を何度も撃退しました。
しかし毛利軍の勢いは止まらず、永禄8年(1565年)には富田城へ総攻撃を仕掛けます。
鹿之介は押し寄せる毛利軍を撃退し、品川大膳(将員)を一騎討ちで討ち取っています。
毛利軍は富田城を落とすことができませんでしたが、城の兵糧はやがて底を突き、尼子義久は降伏します。こうして尼子氏は滅びることとなりました。
牢人となった鹿之介は、尼子氏再興をめざして尽力します。このときに、三日月に向かって「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と誓ったといわれます。
しかし奮闘も虚しく、天正6年(1578年)の「上月城の戦い」において、尼子再興軍は毛利軍に敗れました。
捕らえられた鹿之介は、毛利元就のもとへ連行される途中、毛利氏の家臣・福間元明によって殺されてしまいました。享年34歳といわれます。
基本ステータスについて
統率:77
武勇:96
知略:71
政務:32
主義:革新
ゲーム中でもTOP10に入る上位の武勇ですね。逆に政務のほうはさすがに低いですね。
ちなみに過去作だと統率70台、武勇80台みたいなのが多かったのですが、だんだん武勇が高くなった形です。
戦法・特性について
(戦法)
不撓不屈:自部隊の兵力回復・防御上昇。
(特性)
乾坤:合戦で積極的に退き口を攻撃。
攻勢:自部隊の攻撃上昇。
牢固:自部隊の防御上昇。
鹿之介の生涯の戦いは、毛利軍相手の防衛戦が多かったですしね。
すべて戦闘用のスキルなので、戦場で活躍させていきましょう。
総評
山中鹿之助は、ゲーム中でも上位の武勇を誇る猛将です。
ただ武勇は96ありますが、一方で統率は77、知略は71と、総合能力的にはそれほど高いわけではありません。
「不撓不屈」「攻勢」「牢固」などの戦闘スキルがあるので、上手く使っていきましょう。
次回は吉川元春です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。