『信長の野望・新生』武将能力:山中鹿之介(鹿介/幸盛)の評価は?【武将評価シリーズ・その48】

2023年2月27日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

yamanaka shikanosuke

『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第48回目は、「山陰の麒麟児」として知られる山中鹿之介(やまなかしかのすけ)(幸盛)です。

鹿のツノ兜がチャームポイントニャ。「無双」だと「鹿介」ニャ。

「鹿介」が正しいのですが、本記事ではゲーム中の表記「鹿之介」で統一します。一般的には「幸盛(ゆきもり)」ですね。

そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の山本勘助は以下のリンクから。

 

人物について

山中鹿之介は天象4年(1545年)、尼子氏の家臣である山中満幸の子として生まれました。幼名は甚次郎

父は早くに亡くなったため家は貧しく、また次男であったことから亀井家の養子となります。しかし兄が病弱であったことから山中家に戻って家督を継ぎます。鹿の脇立のついた兜は山中家の家宝で、このときに譲り受けたとされています。またこのときに名前を「鹿介」と改めました。

鹿ツノの兜が名前の由来なのニャ。

鹿之介は幼くして尼子氏に仕え、武将としての才能を発揮していました。

16歳のころ、毛利元就との戦いにおいて、尼子義久伯耆国高尾城攻めに参戦。菊池音八を一騎討ちで討ち取っています。

永禄5年(1562年)には毛利元就が、尼子氏の居城・富田城攻めを本格化させました。

情勢は尼子氏に極めて不利でしたが、この戦いにおいても鹿之介は三面六臂の活躍をしており、多くの敵将を討ち取っています。また吉川元春小早川隆景の軍を何度も撃退しました。

しかし毛利軍の勢いは止まらず、永禄8年(1565年)には富田城へ総攻撃を仕掛けます。

鹿之介は押し寄せる毛利軍を撃退し、品川大膳(将員)を一騎討ちで討ち取っています。

毛利軍は富田城を落とすことができませんでしたが、城の兵糧はやがて底を突き、尼子義久は降伏します。こうして尼子氏は滅びることとなりました。

頑張ったけど勝てなかったニャ。

牢人となった鹿之介は、尼子氏再興をめざして尽力します。このときに、三日月に向かって「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と誓ったといわれます。

有名なセリフニャ。

しかし奮闘も虚しく、天正6年(1578年)の「上月城の戦い」において、尼子再興軍は毛利軍に敗れました。

捕らえられた鹿之介は、毛利元就のもとへ連行される途中、毛利氏の家臣・福間元明によって殺されてしまいました。享年34歳といわれます。

最期まで主君のために戦い続けたのニャ。

 

基本ステータスについて

統率:77
武勇:96
知略:71
政務:32
主義:革新

さすがに武勇は高いニャ。山陰の麒麟児だけあるニャ。

ゲーム中でもTOP10に入る上位の武勇ですね。逆に政務のほうはさすがに低いですね。

ちなみに過去作だと統率70台、武勇80台みたいなのが多かったのですが、だんだん武勇が高くなった形です。

 

戦法・特性について

(戦法)
不撓不屈:自部隊の兵力回復・防御上昇。

(特性)
乾坤:合戦で積極的に退き口を攻撃。

攻勢:自部隊の攻撃上昇。

牢固:自部隊の防御上昇。

守りスキルが多いのニャ。

鹿之介の生涯の戦いは、毛利軍相手の防衛戦が多かったですしね。

すべて戦闘用のスキルなので、戦場で活躍させていきましょう。

そもそも内政向きじゃないのニャ。

 

総評

山中鹿之助は、ゲーム中でも上位の武勇を誇る猛将です。

ただ武勇は96ありますが、一方で統率は77、知略は71と、総合能力的にはそれほど高いわけではありません。

「不撓不屈」「攻勢」「牢固」などの戦闘スキルがあるので、上手く使っていきましょう。

毛利に打ち勝って尼子再興を成功させるのニャ。

次回は吉川元春です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。