『信長の野望・新生』武将能力:宇喜多秀家の評価は?【武将評価シリーズ・その86】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第86回目は、宇喜多直家の嫡男で豊臣五大老の一人でもある宇喜多秀家(うきたひでいえ)です。
どちらかといえば智将より武将タイプですね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の宇喜多直家は以下のリンクから。
人物について
宇喜多秀家は元亀3年(1572年)、宇喜多直家の子として生まれました。初名は家氏。
天正9年(1581年)に父・直家が亡くなったため、10歳で家督を継ぎます。
実際の政治や軍事は、おじの宇喜多忠家が担当していました。
翌年、織田信長が「本能寺の変」で亡くなります。秀家は11歳で毛利家の監視役として、57万石の大大名となりました。
元服すると秀吉から「秀」の字をもらって「秀家」となります。
秀吉には大そう気に入られ、その養女であり前田利家の娘でもある豪姫を正室とします。
以降、秀吉の天下事業に力を貸し、四国・九州の平定や小田原征伐に尽力します。
朝鮮出兵でも大将として戦功をあげました。帰国後に五大老の一人に任命されています。
秀吉が亡くなったのち、新参の家臣・中村次郎兵衛を処分するよう重臣たちから迫られていました。しかし秀家はこれを拒否。重臣と中村次郎兵衛が対立する「宇喜多騒動」へと発展します。
秀家は、重臣の首謀者とされる戸川達安を暗殺しようとしましたが、いとこの宇喜多詮家がこれをかばったことから、宇喜多詮家とも対立することとなります。
最終的に徳川家康が騒動をおさめますが、これによって重臣たちの心が離れ、宇喜多家の衰退につながっていきます。
「関ヶ原の戦い」では、秀家は西軍につきます。敗戦後、秀家は助命されたものの、八丈島へ島流しになってしまいました。そしてそこで50年ほど過ごし、明暦元年(1655年)に亡くなりました。享年84歳でした。
ちなみに時代はすでに、江戸幕府の四代目将軍・徳川家綱のころでしたね。
基本ステータスについて
統率:81
武勇:86
知略:67
政務:79
主義:革新
戦闘能力は高めですね。
過去作だと知略30~40台、武勇・統率50~60台だったので、かなり評価されてきています。
戦法・特性について
(戦法)
急襲:敵部隊の兵力減少。
(特性)
人脈:遠国登用に関する具申が可能。
自衛:自勢力内では自部隊の防御上昇。
どちらかというと守備型ですね。
総評
宇喜多秀家は武勇にすぐれた武将です。
知略は父・直家と違って60台と低いですが、統率・武勇は80台あります。
スキルは少ないですが、戦闘では活躍できるでしょう。
次回は本多正信です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。