『信長の野望・新生』武将能力:宇喜多秀家の評価は?【武将評価シリーズ・その86】

2023年5月3日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

ukita hideie

『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第86回目は、宇喜多直家の嫡男で豊臣五大老の一人でもある宇喜多秀家(うきたひでいえ)です。

悪そうな顔の親と違って、好青年そうなイラストニャ。

どちらかといえば智将より武将タイプですね。

そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の宇喜多直家は以下のリンクから。

 

人物について

宇喜多秀家は元亀3年(1572年)、宇喜多直家の子として生まれました。初名は家氏

天正9年(1581年)に父・直家が亡くなったため、10歳で家督を継ぎます。

若いのニャ。

実際の政治や軍事は、おじの宇喜多忠家が担当していました。

翌年、織田信長が「本能寺の変」で亡くなります。秀家は11歳で毛利家の監視役として、57万石の大大名となりました。

元服すると秀吉から「秀」の字をもらって「秀家」となります。

秀吉には大そう気に入られ、その養女であり前田利家の娘でもある豪姫を正室とします。

以降、秀吉の天下事業に力を貸し、四国・九州の平定や小田原征伐に尽力します。

朝鮮出兵でも大将として戦功をあげました。帰国後に五大老の一人に任命されています。

秀吉が亡くなったのち、新参の家臣・中村次郎兵衛を処分するよう重臣たちから迫られていました。しかし秀家はこれを拒否。重臣と中村次郎兵衛が対立する「宇喜多騒動」へと発展します。

秀家は、重臣の首謀者とされる戸川達安を暗殺しようとしましたが、いとこの宇喜多詮家がこれをかばったことから、宇喜多詮家とも対立することとなります。

最終的に徳川家康が騒動をおさめますが、これによって重臣たちの心が離れ、宇喜多家の衰退につながっていきます。

「関ヶ原の戦い」では、秀家は西軍につきます。敗戦後、秀家は助命されたものの、八丈島へ島流しになってしまいました。そしてそこで50年ほど過ごし、明暦元年(1655年)に亡くなりました。享年84歳でした。

ちなみに時代はすでに、江戸幕府の四代目将軍・徳川家綱のころでしたね。

めっちゃ長生きなのニャ。案外ストレスない生活だったのかもしれないニャ。

 

基本ステータスについて

統率:81
武勇:86
知略:67
政務:79
主義:革新

父と違って知略は低いけど、統率・武勇は高めニャ。

戦闘能力は高めですね。

過去作だと知略30~40台、武勇・統率50~60台だったので、かなり評価されてきています。

 

戦法・特性について

(戦法)
急襲:敵部隊の兵力減少。

(特性)
人脈:遠国登用に関する具申が可能。

自衛:自勢力内では自部隊の防御上昇。

ちょっと微妙ニャ。特性も2つしかないニャ。

どちらかというと守備型ですね。

 

総評

宇喜多秀家は武勇にすぐれた武将です。

知略は父・直家と違って60台と低いですが、統率・武勇は80台あります。

スキルは少ないですが、戦闘では活躍できるでしょう。

親父に比べて地味だけど頑張るのニャ。

次回は本多正信です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。