『信長の野望・新生』武将能力:前田利家の評価は?【武将評価シリーズ・その54】

2023年3月22日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

maeda toshiie

『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第54回目は、「槍の又左」の異名を持つ武将・前田利家(まえだとしいえ)です。

前田慶次の義理の叔父ニャ。

漫画の影響で、慶次のほうが知名度が高い感じになってますね。

そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の尼子経久は以下のリンクから。

 

人物について

前田利家は天文7年(1539年)、前田利春の四男として生まれました。幼名は犬千代

14歳のころから織田信長に仕え、血気盛んで槍の名手であったことから「槍の又左」と呼ばれました。織田家の家督争いでのいくさなどで功績を上げ、赤母衣衆の筆頭に抜擢されます。このころに従妹のまつ(芳春院)を娶り、長女のをもうけています。

NHKの大河ドラマ「利家とまつ」ニャ。

ちなみに家の隣には豊臣秀吉の妻のねねが住んでおり、仲が良かったといいます。

しかし永禄2年(1559年)、信長のお気に入りであった茶坊主の拾阿弥といさかいを起こし、斬り殺してしまいます(笄(こうがい)斬り)。

柴田勝家森可成の助命によって死罪は許されたものの、出仕停止処分となり、浪人の身となってしまいました。

永禄3年(1560年)、信長の許可なしに「桶狭間の戦い」に参加。功績を挙げたものの、帰参は許されませんでした。

勝手に参加してたのニャ。

翌年、斎藤義龍との「森部の戦い」の戦いにも無断参戦し、猛将・足立六兵衛を討ち取るなどの功績を挙げます。ここでやっと許され、信長に帰参しました。

永禄12年(1569年)、信長から前田家の家督を継ぐようにいわれます。当時は長兄・前田利久が家督を継いでいましたが、病弱で実子がいなかったことが理由です。

利久は家督を譲り、養子の前田慶次ともども城を去りました。

以降、利家はさまざまな合戦に参加し、「日本無双の槍」とまで称されるようになります。

武闘派なのニャ。

本能寺の変」において信長が亡くなると、中国へ遠征していた秀吉が引き返してきて、謀反人・明智光秀を討ちます(山崎の戦い)。利家はこの戦いに参加できませんでした。

清洲会議」がおこなわれると、秀吉と柴田勝家の不和が表面化。利家は柴田勝家につくこととなります。

しかし「賤ヶ岳の戦い」において、利家は柴田勝家を裏切り、秀吉側につきます。結果、柴田勝家は敗北。こうして利家は秀吉に仕えることとなります。

なんか節操がないのニャ。

戦国の世は生き残ることが重要ですし、時世を読む力も必要になります。

徳川家康との「小牧・長久手の戦い」では、末森城を包囲する佐々成政を撃破し、城をとりもどしました。

秀吉の信頼を得た利家は、慶長3年(1598年)に五大老の一人に任じられます。

秀吉亡きあと、家康が権力を持ちはじめました。対立していた利家も、最後には家康と和解します。

そして慶長4年(1599年)、利家は自宅で病死。享年62歳でした。

 

基本ステータスについて

統率:83
武勇:85
知略:66
政務:86
主義:革新

そこまで能力高くないニャ。劣化藤堂高虎みたいな感じニャ。

藤堂高虎は全ステータスが80台ですが、利家は知略が66と低めですね。

とはいえ、統率・武勇は80台ですし、政務も86ありますので、全方面で活躍できるでしょう。

 

戦法・特性について

(戦法)
急襲:敵部隊の兵力減少。

(特性)
攻勢:自部隊の攻撃上昇。

血気:合戦で積極的に部隊攻撃を行う。

作事:城下施設の建物効率上昇。

ユニークスキルはとくにないのニャ。

戦闘用の「急襲」「攻勢」と、内政用の「作事」がありますので、バランスのとれたスキル配置にはなっています。

 

総評

前田利家はバランスのとれた武将です。

統率・武勇・政務は80以上あり、戦闘・内政の両面で活躍することができます。

またスキルも戦闘面では「急襲」「攻勢」、内政面では「作事」があり、活かしていくことができるでしょう。

「槍の又左」の力を見せるのニャ。

次回は滝川一益です。