『信長の野望・新生』武将能力:尼子経久の評価は?【武将評価シリーズ・その53】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第53回目は、毛利元就・宇喜多直家と並ぶ中国三大謀将の一人である尼子経久(あまごつねひさ)です。
尼子氏を大勢力に押し上げた、「謀聖」とも呼ばれた人物ですね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の大内義隆は以下のリンクから。
人物について
尼子経久は長禄2年(1458年)、尼子清定の嫡男として生まれました。幼名は又四郎。
文明6年(1474年)、主君・京極政経のもとへ人質として送られます。
文明10年(1478年)、家督を継ぐようになると、次第に室町幕府の命令を無視し、京極政経の寺社領を押領したり、納税を拒否したりと、独立色を強めていきます。
やがて幕府や国人衆からの反発を受け、文明16年(1484年)に居城を包囲され、守護代の職を剥奪されてしまいます。
しかし京極氏でお家騒動が起こり、逃亡した京極政経を保護したことで関係を修復。京極氏の力が弱まったのを機に、出雲での権力基盤を打ち立てます。
ここから備後国、石見国などを次々と攻め落とし、十一か国を治めるほどに勢力拡大をします。
享禄3年(1530年)、経久の三男であり、塩冶家に養子として出されていた塩冶興久が反乱を起こします。
反乱は大規模なものでしたが、大内氏の支援もあり、やがて鎮圧されます。塩冶興久は自害しました。
天文6年(1537年)に経久は隠居し、家督を戦死した長男・尼子政久の子、尼子晴久に譲ります。晴久は中央集権化を進め、尼子氏の最盛期をつくりあげました。
そして天文10年(1541年)、経久は月山富田城内で死去しました。享年84歳でした。
基本ステータスについて
統率:93
武勇:75
知略:98
政務:80
主義:革新
統率も93あり、戦闘面では十分な強さを持っていますね。
「信長の野望」シリーズでの初登場は『天翔記』からで、高い知略と統率を誇ってきた武将です。
戦法・特性について
(戦法)
罵声:敵部隊の防御低下。
(特性)
自衛:自勢力内では自部隊の防御上昇。
策謀:特殊な調略具申が可能。
巧言:他勢力との交渉に関する具申が可能。
「策謀」「巧言」といった軍師スキルがある一方、戦闘スキルは「罵声」「自衛」とちょっと力不足な感じですね。
総評
尼子経久は軍師タイプの武将です。
知略は98あり、統率も93と、高い能力を誇っています。
また「策謀」「巧言」といった軍師スキルを持っているので、うまく使っていくといいでしょう。
次回は前田利家です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。