『信長の野望・新生』武将能力:小早川隆景の評価は?【武将評価シリーズ・その50】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第50回目は、毛利元就の三男である小早川隆景(こばやかわたかかげ)です。
兄の吉川元春とは対照的に、冷静に状況を見極める知将ですね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の吉川元春は以下のリンクから。
人物について
小早川隆景は天文2年(1533年)、毛利元就の三男として生まれました。幼名は徳寿丸。
竹原小早川家の当主・小早川興景が亡くなると、後継者がいなかったことから、徳寿丸が12歳で小早川家の家督を継ぎます。
初陣は天文16年(1547年)、大内義隆が備後神辺城を攻めたときに従軍しました。
一方、沼田小早川家の当主・小早川繁平が盲目であったことから、1こちらの小早川家の家督も18歳で継ぐこととなります。裏では元就の暗躍がありました。
こうして、兄の吉川元春と合わせ、毛利家を支える「毛利両川」の態勢ができました。
弘治元年(1555年)、「厳島の戦い」において、元就は陶晴賢率いる大内軍を宮島に誘い込みました。隆景は水軍を率い、陸路の元春とともに大内軍を挟撃。これを撃退します。
さらに天正6年(1578年)、尼子勝久の籠る上月城を攻め、降伏させました。
一方、攻め込んできた羽柴秀吉(豊臣秀吉)との戦いは膠着状態となっていたところ、織田信長が明智光秀の謀反によって本能寺で死去。
秀吉は信長の死を隠して毛利軍と停戦し、急ぎ撤退します。
信長の死を知った元春はあとを追おうとしましたが、隆景が状況を見極め、「紙の血痕未だに乾かないうちに、これを破るは武士の恥」と止めたといいます。
秀吉の天下統一事業がはじまると、隆景は臣下となって四国へ出兵。
九州平定にも参戦し、その功績によって筑前・筑後・肥前1郡の37万1,300石を授かります。しかし毛利家を支えるため九州に住むわけにはいなかいと、これを辞退しましたが許されませんでした。
朝鮮出兵にも参加し、その働きからのちに徳川家康らと並ぶ「五大老」に任命されます。
1594年(文禄3年)には、秀吉の甥である羽柴秀俊(小早川秀秋)を養子として迎えました。
隆景は秀秋に家督を譲り、慶長2年(1597年)に亡くなりました。享年65歳でした。
基本ステータスについて
統率:91
武勇:75
知略:96
政務:86
主義:保守
初期のころだと智謀80台が多かったのですが、「革新」以降から90台になりました。
戦法・特性について
(戦法)
智の一矢:自部隊の防御上昇・体力回復。
(特性)
能弁:外交取次時の信用上昇量増加。
策謀:特殊な調略具申が可能。
地の利:合戦で積極的に要所を襲撃。
防御系のスキルですね。
また「能弁」「策謀」といったスキルも用意されており、外交で活躍していけるでしょう。
総評
小早川隆景は毛利家の誇る智将です。
統率91・知略96あり、政務も86あります。
また「智の一矢」といった防御スキルや、「能弁」「策謀」といった外交・策略スキルも用意されているので、戦場や外交で活躍していけるでしょう。
次回は陶晴賢です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。