『信長の野望・新生PK』武将能力:林秀貞の評価は?【武将評価シリーズ・その124】

2023年7月22日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

hayashi hidesada

『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第124回目は、織田家の筆頭家老である林秀貞(はやしひでさだ)です。パワーアップキットが発売されたので、今回からは『信長の野望・新生PK』武将評価シリーズになりますね。

いつも思うんだけど、なんか腹立つ顔してるのニャ。

腹に一物ある感を出そうとしているんでしょうかね。

そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の豊臣秀長は以下のリンクから。

 

人物について

林秀貞は 永正10年(1513年)、林通安の子として生まれました。

親子そろって、織田信長の父である織田信秀に仕え、やがて筆頭家老となります。平手政秀は2番家老ですね。

信長の元服においては介添え役をつとめました。信長とは20歳以上年齢差がありますね。

秀貞のほうがだいぶ年上なのニャ。

天文21年(1552年)に織田信秀が死去し、その翌年に平手政秀も亡くなると、秀貞は奇行の多い信長よりも、常識人である弟の織田信勝(信行)の擁立を考えはじめます。

弘治2年(1556年)には弟・林通具柴田勝家らとともに、織田信勝を擁立して反乱を起こします。しかし「稲生の戦い」で信長に敗れ、林通具は処断されました。このとき秀貞は参戦しなかったことから、信長に許されています。

一説では、弟・林通具が信長を殺す機会があったのですが、秀貞が「卑怯なやり方で殺すべきではない」と反対したことが評価されて、許されたともされています。

反乱にはそこまで積極的じゃなかったのニャ。

以降は筆頭家老としての地位を得つつ、内政・外交をメインにおこなっていました。

そして天正8年(1580年)、信長は突然秀貞を追放。「昔、織田信勝の手助けをしたことを急に蒸し返された」ともいわれますが、実際の原因は不明です。すでに高齢で、追放から2か月後に亡くなったともいわれます。

信長の考えはよくわからんのニャ。

 

基本ステータスについて

統率:35
武勇:40
知略:71
政務:55
主義:保守

文官っぽいのに、政務が55しかないのニャ。

知略以外は凡将といったところですね。知略も及第点レベルなので、つかいづらいところがあります。

過去作でもあまり評価の高くない武将です。

 

戦法・特性について

(戦法)
治療:自部隊の兵力回復。

(特性)
能弁:外交取次時の信用上昇量増加。

能吏:街道に関する具申が可能。

巧言:他勢力との交渉に関する具申が可能

(家宰)
年功加俸:仕官3年以上で忠誠上昇、仕官3年未満で忠誠減少。

(奉公)
管理心得:管理主導が発令可能、すでに発令可能なら維持費削減。

今回からPKの追加用を入れたのニャ。

過去の無印の分、どうしようか悩みますね。けっこう量ありますしね。

特性は「能弁」「能吏」「巧言」と、内政スキルがそろっていますね。

 

総評

林秀貞は文官スキルのそろった武将です。特性に「能弁」「能吏」「巧言」を持っています。

ただ政務は55と高くはなく、統率・武勇も30~40台で高くはありません。知略は71ありますね。

ちょっと使いづらいところがありますが、スキルを活かしていくのがいいでしょう。身分が最初から「家老」なので、PKでは「家宰」や「奉行」にするのもよいと思います。

あまり家宰にはしたくないのニャ。

次回は佐久間盛重です。【追記】次回できました。以下のリンクから。