『信長の野望・新生』武将能力:豊臣秀長の評価は?【武将評価シリーズ・その123】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第123回目は、豊臣秀吉の弟である豊臣秀長(とよとみひでなが)です。
秀吉を補佐する役として、さまざまな作品で登場していますね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の前田玄以は以下のリンクから。
人物について
豊臣秀長は天文9年(1540年)、秀吉の母の再婚相手である竹阿弥(筑阿弥)の子として生まれました。秀吉からすると異母弟になりますが、同父弟という説もあります。
織田信長の家臣となった秀吉は、秀長を呼び寄せて自分の配下とします。秀長は、基本的にはいくさに出ている秀吉の留守をあずかる役回りでした。天正4年(1576年)には、藤堂高虎が秀長に仕えています。
「本能寺の変」で信長が亡くなり、秀吉が台頭すると、秀長は兄を補佐して政務・軍務を取り仕切ります。
四国攻めにおいては、秀長は総司令官となって長宗我部元親と戦うこととなりました。九州平定では日向方面の総大将として出陣します。
秀吉は年を取るごとに短期になっていきましたが、秀長は温厚な性格だったことから、長曾我部元親や島津義久は秀長を通じて降伏をし、寛大な処置を取り付けることができました。
天正19年(1591年)に病死。享年52歳でした。
息子がいなかったことから甥の豊臣秀保に家督を継がせましたが、秀保は17歳で急死してしまったため、ここで家系が断絶してしまいました。
基本ステータスについて
統率:80
武勇:60
知略:87
政務:86
主義:革新
武勇以外は80台ですしね。
過去作でも70~80台の能力で、そこそこ評価されています。
戦法・特性について
(戦法)
罵声:敵部隊の防御低下。
(特性)
盛名:城主のときに配下武将の忠誠上昇。
差配:合戦で積極的に味方部隊を救援。
巧言:他勢力との交渉に関する具申が可能。
「盛名」があるので城主にしておきたいところです。
総評
豊臣秀長はバランスのとれた内政寄りの武将です。
武勇は60ですが、それ以外は80台あります。
また「盛名」「巧言」もあるので、城主にしたり、外交で役立てていくのがよいでしょう。
次回は林秀貞です。【追記】次回できました。以下のリンクから。