『信長の野望・新生PK』武将能力:ねね(高台院/北政所)の評価は?【武将評価シリーズ・その164】

2023年11月10日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

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『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第164回目は、豊臣秀吉の正室であるねね(高台院/北政所)(こうだいいん/きたのまんどころ)です。

秀吉関係の作品だと、ある意味準主役みたいな感じなのニャ。

司馬遼太郎の小説「城塞」でも、徳川家康側とのパイプ役として印象深い人物で描かれていますね。

無双シリーズだとなぜか忍者になってるのニャ。

「秀吉忍者説」から派生したのかもしれませんね。

そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の帰蝶(濃姫)は以下のリンクから。

 

人物について

ねね(高台院/北政所)は天文18年(1549年)、織田信長に仕えた杉原定利の娘として生まれたとされています。

永禄4年(1561年)に秀吉と結婚。農民出身の秀吉とは身分差があったため、恋愛結婚だったといわれていますね。

当時としてはめずらしいのニャ。

夫婦仲はよかったのですが、子が生まれませんでした。代わりに福島正則加藤清正石田三成など子飼い武将たちを養育していました。

天正13年(1585年)、秀吉が関白になると、ねねは「北政所」と呼ばれるようになります。小説「城塞」でも北政所の名がつかわれていますね。

秀吉が亡くなると、ねねは淀殿とともに豊臣秀頼の後見人となりました。政治的な権力は、秀頼を生んだ淀殿のほうが強くなっていました。このことから、両者の不和説、さらにはこれを理由に家康側に取り入った説もあります。

慶長8年(1603年)、秀頼と、徳川秀忠の娘・千姫の婚儀ののち、仏門に入って高台院快陽心尼(のちに高台院湖月心尼)と号します。秀吉を弔うため、京都東山に高台寺を建立し、その門前に屋敷を構えました。

いまは観光名所になってるのニャ。

「大坂夏の陣」においては徳川と豊臣の交渉役となっていました。しかし豊臣側は大阪城からの撤去を飲まなかったため、滅ぼされてしまいます。

豊臣政権が滅びたのちも、ねねは家康とは良好な関係を続けていました。

寛永元年(1624年)に死去。享年76歳だったといいます。

当時からすると長生きニャ。

 

基本ステータスについて

統率:77
武勇:48
知略:80
政務:74
主義:革新

知略80いってるし、統率も77あって、普通以上に戦えるのニャ。

政務も74あり、中の上といった能力ですね。かなり特別扱いされている感があります。

 

戦法・特性について

(戦法)
攪乱:敵部隊の体力低下。

(特性)
人脈:遠国登用に関する具申が可能。

差配:戦場で積極的に味方部隊を救援。

破策:所属城にかかる調略の成功率減少。

(家宰)
人材重用:忠誠上昇、兵糧収入減少。

(奉公)
羽柴伝:検地・刀狩が発令可能、すでに発令可能なら維持費削減。

まさかの「破策」もちなのニャ。

調略の成功率を下げてくれるので、要所においておくとよいでしょう。

 

総評

ねねはバランスの取れた中堅武将です。

統率77・知略80と高いステータスになっており、政務も74あります。

「人脈」「破策」も持っていますので、うまくつかっていくとよいでしょう。

普通に能力値の高い武将なのニャ。

次回は徳川秀忠です。【追記】次回できました。以下のリンクから。