『信長の野望・新生PK』武将能力:豊臣秀頼の評価は?【武将評価シリーズ・その153】

2023年10月11日武将能力評価信長の野望, 信長の野望・新生武将評価シリーズ

toyotomi hideyori

『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第153回目は、豊臣秀吉と茶々(淀殿)の子である豊臣秀頼(とよとみひでより)です。

徳川家康に滅ぼされてしまったのニャ。

秀吉のあとを継ぐも、まわりに振り回されていたというのは前回の毛利輝元に似ていますね。

そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の毛利輝元は以下のリンクから。

 

人物について

豊臣秀頼は文禄2年(1593年)、豊臣秀吉と側室の茶々(淀殿)の子として生まれました。茶々は織田信長の妹・お市と、浅井長政の子なので、織田・豊臣・浅井の血を受け継いでいることとなります。

サラブレッドなのニャ。

秀吉は養子の豊臣秀次を後継者としていましたが、秀頼が生まれたことで実子を後継者にしたいと考え始めました。

そして文禄4年(1595年)、秀吉は秀次に謀反の罪を着せ、切腹を命じます。さらにその家族も皆殺しにすることで、後世の憂いを断ちました。

徹底的なのニャ。戦国の世は恐ろしいのニャ。

もう一人の養子で、秀次の後継者とされていた豊臣秀俊は、小早川家に養子に出されて小早川秀秋となります。

こうして後継者問題を取りのぞき、秀頼の地位は安泰となりました。

秀吉は徳川家康の娘・千姫を秀頼の正室として迎え入れさせ、家康との関係を修繕していきます。さらに五大老・五奉行によって秀頼を支える体制をつくりました。

秀吉がすべての下準備をしていたのニャ。

しかし秀吉亡きあと、家康の権力は大きくなっていきます。

「関ヶ原の戦い」においては小早川秀秋の寝返りもあって、西軍は大敗。秀頼は65万石の大名に落とされてしまいます。

秀秋には跡継ぎ問題のときの復讐をされたようなものなのニャ。

慶長19年(1614年)、「方広寺鐘銘事件」で家康は豊臣側に因縁をつけて開戦。「大坂冬の陣」「大坂夏の陣」がはじまります。真田幸村など名将が豊臣側で善戦しましたが、もはや天下の趨勢は決まっていました。

大阪城に攻め込まれ、秀頼はなにもすることができず、母・淀殿とともに自害。こうして豊臣家は滅亡してしまったのです。

諸行無常なのニャ。

 

基本ステータスについて

統率:53
武勇:36
知略:49
政務:54
主義:革新

前回の毛利輝元をさらに劣化させたような感じなのニャ。

輝元とおなじように、若くして家督を継ぎ、まわりに支えられていた人物ですしね。

シリーズでも能力は低く、「覇王伝」のときは智謀1でした。

 

戦法・特性について

(戦法)
早駆:自部隊の機動上昇。

(特性)
盛名:城主のときに配下武将の忠誠上昇。

鉄壁:所属城の耐久ダメージ減少。

(家宰)
地方検地:災害被害回避率上昇、領内行動の集落掌握速度減少。

(奉公)
羽柴伝:検地・刀狩が発令可能、すでに発令可能なら維持費削減。

「盛名」はそこそこ使えるのニャ。

「鉄壁」もありますし、守りに徹するタイプの武将になっていますね。

 

総評

豊臣秀頼は中の下ぐらいの凡将です。

ステータスは50台かそれ以下。「盛名」があるので、これをうまく使っていくのがよいでしょう。

サラブレッドだけど能力を発揮できない人生だったのニャ。

次回は茶々(淀殿)です。【追記】次回できました。以下のリンクから。