『信長の野望・新生』武将能力:上杉景勝の評価は?【武将評価シリーズ・その67】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第67回目は、上杉謙信亡きあとの家督を継ぎ、五大老の一人にもなった上杉景勝(うえすぎかげかつ)です。
実際に寡黙だったともいわれますね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の武田勝頼は以下のリンクから。
人物について
上杉景勝は弘治元年(1555年)、長尾政景の次男として生まれました。母は謙信の姉・仙桃院(綾御前)です。
兄の長尾義景が早世し、さらに永禄7年(1564年)に父・政景が溺死したことで、景勝は謙信があずかり養子としました。
しかし永禄13年(1570年)、謙信のもとに北条氏康の七男・三郎(上杉景虎)が養子として送られます。
そして天正6年(1578年)、謙信が死去すると、養子である景勝と景虎とのあいだで家督争いが勃発します(御館の乱)。
武田勝頼は北条氏との関係から、当初は景虎を支援していました。
しかし景勝は、領土割譲などを条件に武田勝頼の助力を取り付け、戦いに勝利します。
そうですね。北条氏は武田氏に裏切られたと考え、織田・徳川と手を組みます。
やがて武田領は織田・徳川・北条に攻め込まれ、武田氏は滅びることとなりました。
こうなると、景勝は武田氏の後ろ盾を失いこととなります。
窮地に立たされた景勝ですが、「本能寺の変」で織田信長が亡くなると、状況は一変します。
景勝は織田氏の内紛にうまく乗り、豊臣秀吉に取り入りました。こうして秀吉の後ろ盾を得て、越後統一を果たします。
小田原征伐や朝鮮出兵にも参加し、秀吉の信用を得て豊臣五大老の一人とまでなりました。
秀吉亡きあと、徳川家康と石田三成が争うと、景勝は三成に味方して家康と対立します。
家康は景勝に対して召喚状を送りましたが、直江兼続に命令拒否の書状をつくらせました。
腹を立てた家康は、景勝を征伐するために軍を動かしました。
このとき三成が挙兵したことから家康は引き上げましたが、「関ヶ原の戦い」において三成は敗北。景勝は家康に降伏します。
景勝は許されたものの、領土を没収され、米沢へ移封させられました。
以降、景勝は家康との関係改善に尽力し、最終的には江戸桜田に藩邸をあたえられるまでになりました。
「大坂の陣」にも参加し、元和9年(1623年)に亡くなりました。享年69歳だったといいます。
基本ステータスについて
統率:80
武勇:77
知略:79
政務:79
主義:保守
謙信の跡取りとしては力不足感はありますね。
過去作だと「革新」「天道」あたりは統率90台、武勇・政務80台みたいな感じでしたが、そのときに比べると評価は落ちています。
戦法・特性について
(戦法)
同討:敵部隊の兵力減少。
(特性)
乾坤:合戦で積極的に退き口を攻撃。
自衛:自勢力内では自部隊の防御上昇。
数奇:家宝をまれに入手。
個性の見えづらいスキル並びですね。いちおう「数奇」も持っています。
総評
上杉景勝はバランスのとれた武将です。
ステータスは80前後ありますが、他の有名武将と比べると力不足感はあります。
スキルでは「自衛」があるので、防衛戦には役立つでしょう。また「数奇」もあるので、運が良ければ家宝が入手できます。
中堅武将として活躍していけるとは思います。
次回は山県昌景です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。