『信長の野望・新生』武将能力:穴山梅雪(信君)の評価は?【武将評価シリーズ・その73】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第73回目は、武田家の重臣ながらも徳川家康に降った穴山梅雪(信君)(あなやまばいせつ(のぶただ))です。
今作では間に合いませんでしたが、次回作あたりで能力が飛躍的に上がりそうな感じはありますね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の内藤昌豊は以下のリンクから。
人物について
穴山梅雪は天文10年(1541年)、穴山信友の嫡男として生まれました。幼名は勝千代。
「梅雪」は、出家して「梅雪斎不白」と号したことから来ています。それと名前の「信君」は「のぶただ」と読みます。
幼年期は武田家の人質として過ごしていたといわれます。
永禄元年(1558年)に父・信友が出家し、梅雪が家督を継ぎました。
永禄11年(1568年)に武田信玄が駿河侵攻したさいに、梅雪は今川氏や徳川氏への調略をおこなっていました。また山県昌景の後任として江尻城代となっています。
信玄亡きあとは武田勝頼に仕えます。
「長篠の戦い」にも参戦していますが、積極的に戦った形跡はなく、無事に生還。
戦後に高坂昌信から、武田信豊ともども切腹するようとがめられています。ただこれは勝頼から拒否されました。
しかし梅雪はすでに武田家から心が離れ、けっきょく徳川家康へ降ることとなりました。
降った理由としては、勝頼が娘を梅雪の嫡男に娶らせる約束を破り、武田信豊の子に娶らせたことに激怒したからともいわれています。
天正10年(1582年)、織田軍の甲斐侵攻に際しては、織田信長に内応します。これにより、織田氏の従属国衆となり、家康の与力となりました。
梅雪は信長への御礼のため、家康とともに上洛します。
ところが京都へ向かう途中、明智光秀の謀反による「本能寺の変」が勃発。
家康とともに逃げましたが、途中、落ち武者狩りか一揆の襲撃を受けて亡くなったとも、自害して亡くなったともいわれています。
家康は別行動をとっていたので、生き延びることができました。
基本ステータスについて
統率:54
武勇:56
知略:52
政務:63
主義:革新
過去作でもこんな感じですしね。
ただ漫画「センゴク」で有名になった仙谷権兵衛の例もありますし、大河ドラマで有名になったことで次回作あたりで能力が上昇する可能性もありますね。
戦法・特性について
(戦法)
足止:敵部隊の機動低下。
(特性)
鉄壁:所属城の耐久ダメージ減少。
詭弁:外交取次時の信用上昇量増加。
外交のエキスパートということが評価されて、「詭弁」は持っていますね。
総評
穴山梅雪は、取り立てて能力が高いわけではありません。
統率・武勇・知略は50台、政務は63と、どちらかといえば凡将です。
ただ「詭弁」を持っていますので、外交で活かしていくといいでしょう。
次回は朝倉義景です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。