『信長の野望・新生』武将能力:武田勝頼の評価は?【武将評価シリーズ・その66】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第66回目は、武田家最後の当主となった武田勝頼(たけだかつより)です。
「実は名将」説もありますが、「長篠の戦い」では武田家の重臣が死にまくってしまいましたしね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の蘆名盛氏は以下のリンクから。
人物について
武田勝頼は天文15年(1546年)、武田信玄の四男として生まれました。
母は、信玄の滅ぼした諏訪家の領主・諏訪頼重の娘・諏訪御料人です。諏訪家の者たちを従わせるため、諏訪家とその「頼」の字を引き継がせて「諏訪四郎勝頼」としました。
勝頼が元服すると、信濃高遠城の城主となりました。
一方、信玄の嫡男・武田義信は信玄と不仲で、廃嫡後に自害させられます。
次男の武田信親は盲目で、三男の武田信之が早世したことから、勝頼が跡継ぎ候補として繰り上がります。
ただ最初のうちは、「敵だった諏訪家の者を跡継ぎにするのはどうか」と反対もありました。そのため信玄は、勝頼を正式な跡取りにはしませんでした。
ただ勝頼は織田信長の娘・龍勝院を正室として迎え入れ、子の武田信勝をもうけていたことから、信勝を武田家の跡取りとすることになりました。
そして信勝が元服するまで、勝頼が一時期的に跡取りとなります。
元亀4年(1573年)、信玄が亡くなったことから、勝頼が武田家を継ぎます。
信玄は、武田家が外にも内にも「自分の死を3年隠せ」として、表向きは隠居ということにしていました。これは武田家が内外に問題を抱えていたことから、勝頼ではおさえきれないという懸念もあったといわれます。
そもそも勝頼は「諏訪家の者」というあつかいだったので、武田家の家臣たちが団結するのが難しかったというのもあります。
一方、徳川家康は、信玄の死の真相を知るため、長篠城を落として相手の出方を見守ります。
勝頼は織田・徳川連合軍に対して反攻し、長篠城奪還をめざします。
こうして、かの「長篠の戦い」がはじまりました。
「長篠の戦い」では、武田軍の死傷者は1万を超えたといわれます。
また馬場信春、山県昌景、内藤昌豊、原昌胤といった名将らも戦死してしまいました。
信玄のライバルである上杉謙信ですが、「長篠の戦い」後、勝頼は和睦を成功させました。こうして外交的には持ち直します。
しかし天正6年(1578年)、謙信が死去してしまい、その養子の上杉景勝と上杉景虎のあいだで家督争いが勃発します(御館の乱)。
景虎が北条氏政の実弟であったことから、勝頼は当初景虎を支援していました。
しかし景勝が領土の譲渡などの条件を出してきたことから、勝頼は景勝の味方についてしまいます。
最終的には景虎が自害して、景勝が勝利。
しかし北条氏政はこれを恨みに思い、家康と手を組んでしまいました。
こうして勝頼は、織田・徳川・北条を敵にまわすことになってしまいます。
ここから武田氏の没落がはじまります。
家康らは武田領への攻勢をはじめ、一方で穴山梅雪ら重臣の離反もはじまります。
勝頼は領土をどんどん失っていき、逃亡中も味方の小山田信茂に殺されかけてしまいます。
最期は子の信勝、正室の北条夫人とともに自害してしまいました。享年37歳でした。
基本ステータスについて
統率:86
武勇:88
知略:71
政務:56
主義:中道
最後は判断ミスで北条氏を敵にまわしてしまったことから、政務を低くされているのかもしれません。
過去作だと知略が20台だった時期も多かったのですが、現在は71もあるので評価が高くなっていますね。
戦法・特性について
(戦法)
早躯:自部隊の起動上昇。
(特性)
城乗:敵城への耐久ダメージ増加。
攻勢:自部隊の攻撃上昇。
馬術:自部隊の騎馬LV上昇。
機動力の上がる「早躯」や、「城乗」「攻勢」など戦闘スキル特化という感じですね。
総評
武田勝頼は猛将タイプの武将です。
統率・武勇は80台あり、「城乗」「攻勢」といった戦闘スキルも持っています。
一方で政務は56と低めです。戦闘面で活躍させていきましょう。
次回は上杉景勝です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。