『信長の野望・新生』武将能力:清水宗治の評価は?【武将評価シリーズ・その121】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第121回目は、城内5千の兵を守るために見事な切腹をした清水宗治(しみずむねはる)です。
武士の切腹を名誉あるものにまで昇華させた人物ともいわれますね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の甲斐宗運は以下のリンクから。
人物について
清水宗治は天文6年(1537年)、清水宗則の子として生まれました。幼名は才太郎。
当初は三村氏の重臣・石川久式に仕えていましたが、のちに毛利氏について高松城主の地位を得ました。このあたりは諸説あります。
以降は小早川隆景に従って中国平定に助力し、忠義の将として評価をあげていきます。
天正10年(1582年)、織田信長が秀吉に中国攻めをさせると、宗治は高松城で籠城をおこないました。
秀吉は黒田官兵衛、蜂須賀小六を使者として送り、降伏をうながしましたが、宗治は聞き入れません。
そこで官兵衛は水攻めを提案し、実行に移します。
これに対して毛利元輝は、吉川元春・小早川隆景を率いて救助に乗り出しました。しかし状況打開にはいたらず、戦線は硬直してしまいます。
この水攻めの最中、明智光秀による謀反「本能寺の変」が勃発し、信長が亡くなってしまいました。
秀吉は中国大返しをするため、信長の死を伏せた状態で和平交渉に乗り出します。その条件の一つが「宗治の自刃」でした。
毛利側は安国寺恵瓊を通じて、宗治の自刃は避けてほしいと申し出ましたが、聞き入れてもらえません。
そこで秀吉は、宗治に直接「城内の兵の助命と引き換えに切腹するよう」いいわたします。
宗治はこれをのみ、水上に舟を浮かべて舞を舞い、そこで切腹しました。享年46歳。辞世の句は「浮世をば 今こそ渡れ もののふの 名を高松の 苔に残して」です。
その潔さ、見事さから、切腹が「武士の名誉ある死」として後世に影響をあたえることとなりました。秀吉も宗治の死を見届けるまで中国大返しをしませんでした。
基本ステータスについて
統率:77
武勇:84
知略:87
政務:54
主義:保守
武勇知略は80台ですし、統率も77ありますね。
過去作だと政務は18とか20とか低めだったのですが、本作では54ありますね。
戦法・特性について
(戦法)
混乱:敵部隊に混乱付与。
(特性)
盛名:城主のときに配下武将の忠誠上昇。
鉄壁:所属城の耐久ダメージ減少。
兵士たちに慕われていたというを出すためでしょうね。
戦闘スキルは「混乱」「鉄壁」と守り向けのものになっています。
総評
清水宗治は戦闘向きの中堅武将です。
武勇・知略は80台あり、統率も77と、中堅武将としては悪くないステータスです。
スキルには「盛名」があるので、城主にしておくとよいでしょう。
次回は前田玄以です。【追記】次回できました。以下のリンクから。