『信長の野望・新生』武将能力:甲斐宗運(親直)の評価は?【武将評価シリーズ・その120】
『信長の野望・新生』武将評価シリーズ第120回目は、阿蘇家を支えた名将・甲斐宗運(親直)(かいそううん(なおちか))です。
シリーズを重ねるごとに人相が悪くなってる感じですね。
そんなわけで能力を見ていきましょう。前回の村井貞勝は以下のリンクから。
人物について
甲斐宗運は阿蘇家の重臣である甲斐親宣の子として生まれました。「宗運」は出家後の号で、名は親直です。
阿蘇家は当主の阿蘇惟豊と、その兄の阿蘇惟長(菊池武経)とのあいだで抗争がおこっており、甲斐家は阿蘇惟豊を支えてきました。
天文10年(1541年)、御船城主の御船房行が反乱を起こし、宗運はこの鎮圧にあたります。この功績により、代わって御船城の城主となりました。このころに剃髪して「宗運」を号したとされています。
天文15年(1546年)、娘婿であり隈荘城主の甲斐守昌が島津氏に内通して反旗を翻します。理由としては、宗運に脇差をねだったところ断られたため、妻に盗ませたのが露見したとのこと。
宗運は隈荘城を3年がかりで攻め落としました。その後も、島津氏と内通する反乱者を相手に戦い続けます。
甲斐家は大友家とよしみを結んでいましたが、「耳川の戦い」で大友宗麟が島津義久に大敗すると、大友家の勢いは低下してしまいます。それをきっかけに島津氏や竜造寺氏につく者が増えます。
以降、阿蘇家の内乱はさらに激化します。盟友であった相良義陽が島津氏につき、宗運はこれと戦うことにもなりました。息子を人質にとられていた相良義陽は、あえて背水の陣を敷き、わざと負けたといわれています。宗運は相良義陽の首を見て涙しました。
相良氏の協力なしに島津氏に対抗するのは無理と悟った宗運は、島津氏・竜造寺氏との外交を展開し、阿蘇家存続に腐心しました。
天正11年(1583年)に病死。享年75歳といわれます。身内に対しても苛烈な処断をしていたことから、嫡男・甲斐親英の妻が、娘に毒殺させたとの説もありますね。
宗運の死後、甲斐親英は「島津氏と戦うな」という遺言を守らず、島津氏の花の山城を攻撃して反撃にあいます。やがて阿蘇家は滅亡してしまいました。
基本ステータスについて
統率:89
武勇:70
知略:94
政務:78
主義:保守
智将というあつかいになっていますね。統率も90近くあります。
シリーズを重ねるごとに能力が上がっている感じですね。
戦法・特性について
(戦法)
混乱:敵部隊に混乱付与。
(特性)
能弁:外交取次時の信用上昇量増加。
用兵:敵部隊を挟撃中、自部隊の攻撃上昇。
策謀:特殊な調略具申が可能。
「混乱」「能弁」「用兵」「策謀」と、軍師スキルはひととおりありますね。
総評
甲斐宗運は知略に長けた将です。
知略は94あり、統率も89あります。また「混乱」「能弁」「用兵」「策謀」といった軍師スキルもそろっています。
バランスのとれた将なので、うまくつかっていきましょう。
次回は清水宗治です。【追記】次回出来ました。以下のリンクから。